このリンクから引用して質問です。

>かつてキリスト者であった私ですが、現在、個人的には
> -- つまり自らの救済とか生き方とかといった地平では --
>キリスト教にはもう全然興味がありません。
>キリスト教の本質は、結局のところ<根拠のない思い込み>であり、
>キリスト教が生み出す輩はその<ドグマの奴隷>だからです。
>それは、本サイトにおける来訪者とのやり取りの中でも、
>意図せずして自然に明らかにされていった事柄の一つです。
・・・
>そのためにわたしの大切な時間を費やすなんの魅力もキリスト教にはありません。
この文章を拝見して呆れる事ばかり感じられました。そしてガッカリしました。 あなたはキリスト教に対する興味がなく、魅力もないということで、 私の信仰と体験はどうなるのですか?

私は6〜7才頃、イエス・キリストの姿を見たのです。 その当時は当然、キリストの存在、本当にあった出来事などを 全く知らない時でした。それでもイエスを見たのはどうしてですか? そして、いつだったか忘れましたが、中学2〜3年頃、ある事情により、 苦しみの日々を送るようになりました。苦しみの日々が続いている間、 私は天にこう言った。 「お寺、神社、祠、色んな宗教の建物や彫刻などがあるから、 神と悪霊の存在はあるのは知っている。しかし、私はこうして苦しんでいる。 神が多くいるなら、私たちを助けてくれないの? なんか、神が多くいるくせに助けないのはもしかして、 本当の神ではなく、悪霊(ニセ神)じゃないのか? もしかしたら、偽の神が多い中で、本当の神はいるはずだ!! 本当の神さま、本当の神は誰か分かれば信じる。 だから教えて下さい。」と言った記憶はあります。 当然、天からは何の返事もありません。 でも、天に言って以来、短期間で私の同級生たちの中に クリスチャンホームの人が一人いて、私はその人がクリスチャンホームだと知らず、 彼と友達になってました。友人の家に泊まりに行く約束があって、 泊まりに行った時です。 その友人が突然、キリストのことを話し出したのです。

以下の話は別の話になりますが、ちょっと聞いてください。

私は、小学生5〜6年ごろ、マンガや世界図鑑など、 特に、日本歴史と世界歴史のマンガ本が面白くて読むのが好きで、 色んな本屋さんへ行っては立ち読みをよくしていました。 全て読み終えても物足りないと感じ、ほかの本屋さんは 色んな本そろえているかな?と思い、気まぐれで巡り歩いていたら、 キリスト教専門の書店があるのを見て、そこへ入りました。 もちろん、その書店をキリスト専門の書店だとは知らずにね。苦笑 で、入ってみたときは、一般的な書店とは違う雰囲気に なってたので、ちょっと戸惑っていました。 マンガ本はあるかを物色して見つけ、読んでみた。 それも、また、一般的な書店にない本ばかりで 「あれ?こんな本があるなら、他の本屋さんにはないんだろう?」 と疑問する反面、「うわ、すごいな?こんな出来事は昔にあったのか!? ウソだろ?」と驚くようなシーンばかり描いてあって、 驚きと強烈なインパクトの連続でした。 そう、イエスや天草四郎が海の上を歩いたり、死人を蘇らせたり、 モーセも海を真っ二つに割れたり、 エリヤやエノクらは生きたまま天に引き上げられたり、色々です。

だから、それらを読んだ事があるので、先ほど話した友人の話を聞いていても 分かっていたから話が早かった。 その時、私は「あの十字架は何ですか?イエスは罪を犯してないのに、 何故、十字架に架けられたの?」と質問した。 友人が「それはあなたたちの罪を背負って死なされたのです。 だから、イエスは背負って下さったので、私たちには罪はないのです。」 と言ったので、私は泣いた。そして信じた。 しばらく経っていると、当然、信仰に対して、疑問を抱く。 疑問を抱く日々を送る中、私の夢に、イエスが現れたのです。 「●●(私の名前)、あなたは私を信じなさい!」と語りかける声が リアルに(生々しく)聞こえ、同時に、 「イエス・キリストを信じなさい」という文字を示された。 その御顔がアップしてきて太陽よりも強烈な光を放ち、まぶしくて夢から目覚めた。 そうです、私は耳が聞こえないのです。 耳が聞こえないのに、夢の中で、イエスが語りかける声が生々しく聞こえたので、 聞こえているのか?と思ったぐらいです。 それで、夢から目覚めて、第一に耳が聞こえているかどうかをチェックしてみた。 「あ〜あ〜」と声を出しても聞こえない・・・あれ?夢では聞こえたのに?? まあ、首を傾げたけどね。

そして、信仰に入って間もなく(いつだったか忘れましたが3か月以内に)、 火と聖霊のバプテスマを受けたのです。 つまり、使徒の働き(新約聖書)に書いてあるように、 聖霊のバプテスマを受ける徴として、異言を語るのです。 もちろん、水のバプテスマを受ける意味も知らず、受けたことがなかった時に、 聖霊のバプテスマを先に受けてしまったのですから。 私は聖霊(力)を受けたのは恐らく、知恵と知識の賜物だと思います。 それは学校の成績では平均60〜70点だったのが、 平均90点前後に上がったのだから。 あとで、ある霊感のある人に、「あの時、聖霊を受けたのは何ですか?」と、 あの時の出来事を言わず、聞いてみたら、 「それはあなたが勉強して、正しい知識と知恵を得るためです。 そして伝道活動するために備えるからです。」と言ったのです。 どうして分かるんだ?私は当時のことを言ってないのに 言い当てたのは驚きました。w

話が変わりますが・・・。 まず、イエスは私の夢の中で「私を信じなさい」と自ら言われたか分かりますか? このことで自問して気づいたのです。 ヨハネ14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

このことですね。イエスより父なる神を第一に見れば(優先に信じれば)いいのに、 何故、イエスを信じろ!なのか?それが信仰に対する疑問でしたから。

聖書を読んでみると納得出来ました。 私の体験はほとんど、聖書に書かれている通り、起こっています。 私の身に起きた体験については、あなたがいう「根拠のない思い込み」ですか? あなたはやっている事はヨハネ14:17と同じですね。 あなたは霊を見ようとも知ろうともしないから、 キリスト教に対する興味も魅力も持たないようになるわけですね?

ヨハネ14:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

もし、あなたはキリスト教の聖書に対して信憑性がなく、 信じられないというのであれば、 私の、今までの体験を否定することになります。 確かに、聖書に矛盾や相違があるのは認めてます。 あなたは日本語の聖書はでたらめだと言う前に、 ヘブライ語の旧約、ギリシャ語の新約を読んでから 間違いを解説したらいかがでしょうか? もしかしたらまた違う解釈になるかもしれません。 ぜひ、ヘブライ語とギリシャ語を勉強して、また違う解釈の解説をすることを 願っています。また、正しい翻訳の聖書を作りませんか? 私も日本語の聖書は矛盾や相違だらけで信憑性がないのだから嫌いですね。 だから、ヘブライ語の旧約、ギリシャ語の新約を読むしかないですが、 外国語を勉強する暇がないから。 出来れば、ヘブライ語とギリシャ語を教えてくれる人がいたらな。w

最後に終わります。 私はイエスを信じているが、教会、教派の教義を受け入れません。 原始キリスト教に近い教会を探し求めたくなるのは仕方がありません。 だから、教義はくそくらえ!!ですね。(激怒) この間違った教義のせいで、戦争や教派の分裂が絶えないわけだから。

イエスは言われました。 「教義などという文字は信じなくてもよい、一番大切なのは信仰と道徳だ」と・・・。

http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/faq.html から引用です。

>問 クリスチャンをやめたそうですが、棄教後の気持ちを聞かせて下さい。

・・・神やキリストや未来の世界などについて、本当は自分は何も知らないくせに、あたかもなにか知っているかのごとく確信しふるまわなければならない苦痛からの解放です。本心から信じることのできない様々なキリスト教ドグマを、自らの救いのために、あれこれとアクロバット的な正当化を施して信じなければな らないやましさからの解放です。信じることのできないものは「信じられない」、間違っていると思われるものは「間違っている」、あやしいものは「あやしい」、知らないものは「知らない」と、そのまま自分の心を表現できる自由です。この開放と自由は、ほんとうにすばらしいものなので、いかなるバラ色の救いの約束も、と ても色あせて見えます。
いいですか?あなたのやっていることは明らかに敗北ですよ? 私だって、聖書の矛盾と相違に嫌気と嫌悪、そして怒りと憤りを覚え 教会の教義も受け入れずにいます。本当なら捨てたいところだ。 でも、私はイエスの姿を見たのだから信じて我慢しています。 それはマタイ7:13〜14 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、 そこから入る者が多い。 しかし、命に通じる門はなんと狭く、 その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

その事を知っているので我慢しているのです。 あなたの言っていることが明らかにわがままに等しいですよ? あなたが思ったものはハッキリ言う、それは自由だから、それでいいですよ。 遠慮なく、はっきりのことを言えばいいんだから。 彼らとは考え方が合わないなら無視すればいい。 私もハッキリ言う方ですが、彼らは勘違いなので あえてはっきりのことを言わないようにしています。 彼らの考え方とは合わないことが多いので関わらないでいます。 いつも、水かけ論ばかり持ち出してくるからです。

では、あなたの上に主イエスの救いと導きがありますように、 また、あなたの心に信仰を与えられるように祈ります。 主イエスの御名によりアーメン。

先ほど話したヨハネ14:6については 私が6‾7才頃、キリストのことを知らないのにイエスの姿を見たし、 今はもうすでにイエスを信じています。 イエスは6‾7歳ごろの私がイエスのことを知らないのに現れた時点では、 今の私がイエスを信じる、そのような事(未来)になるとはどうして分かったのですか? 誰でも未来を見通す事が出来るわけがありません。 それがイエスは私の未来を見通すことが出来たから、本物だと断言出来ます。 もし、今の私がイエスを信じてなかったら、 あの時は何なんだったのか?と疑問してたかもしれません。 単なる幽霊だとして、簡単に片づけた(気にせずにいた)かもしれません。 でも、私はイエスを信じているので、これらについて、 あなたはどう説明できましょうか?