佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


  ホー  キリスト  聖書の間違い  来訪者の声 

川口さんより

00年6月23日

他の学問と呼ばれる世界にもあるように。日本の考古学の中にも成功をもとめる学者 たちの名誉心や、あるいは特に日本の場合天皇制の復活を求める政治家たちからの影 響があることは明らかでしょう。

 そのような政治家と学者との共通した願いとは、発見される物がなるべく古い時代 のものであるということです。学者にとってそれは、名誉になり、また天皇制支持者 にとっては、日本国の他国に対する優越性を示すこととなるからです。  数年前、近くの河原で考古学の発見がありました。数千年前に書かれた絵が発見さ れたというのです。学者たちは、そのように発表しました。しかしその発表の後、し ばらくして、近所の学生のいたずらだったことが明らかになりました。

  2 時々発見される骨について、佐倉さんは何を根拠にしてその古さが決定されてい ると思っておられますか。

   そのメジャーとなるものは骨に含まれる炭素を利用したものです。この方法には、 他の測定方法と同じ様に計るべきものが限定されています。  例えば、30センチの定規で1ミリ以下のものを計ることが難しいように、炭素を 用いた方法もあまり最近のものを計るのには、限界があるということです。逆に30 センチの定規で、30メートルの長さの物を計るのも難しいのです。この場合100 倍のものを測定しているわけですが、1000年のものを測定するべき定規で30万 年前のものを測定するというのは、30センチの定規で90メートル、400万年前 であれば1200メートルになります。  この測定方法には、おもしろい実験があったということを、高校の科学の先生に教 えていただいたことがあります。同じ物を様々な大学、研究者に同じ方法で測定して いただいたところ、数万年から数百万年前までバラバラの測定結果がでたそうです。  恐らく、それぞれの研究者が日頃自分が主張している学説に合わせて測定したので はないかと思います。

  3私も以前聖書の系図をたどり、年数を計算しましたら、佐倉さんのような結果にな りました。  でも、後に気がついたのは、ユダヤ人の系図の用い方と日本人的(もしくは現代人 的)な私の考えのギャップです。ユダヤ人にとって、必ずしも系図はすべての人を記 さないとうことです。途中の何人かを削除して記録され、あるいは記憶されるのです 。そのことは新訳聖書のイエス様の系図にも見られます。  系図の中の有名な人を遡って覚える習慣は、今でも、サウジアラビアのベドウイン の間に見られるそうです。彼等は砂漠でであったグループとそれぞれ先祖を確かめ合 うのですが、有名な先祖を遡っていきます。20代30代遡り共通の先祖を見つける と『イブン、アン、ミー(私の兄弟よ)』ということで、平和を約束するそうです。  佐倉さんも、あまり限られた小さな知識で、大きな判断をするという早まったこと は慎むべきだと思います。ただ、熱心に学ぶこと、研究することはとても大切ですし 、信仰の助けになることと思います。そういう意味では佐倉さんを尊敬します。  





作者より川口さんへ

00年7月9日

(1)炭素14年代学

時々発見される骨について、佐倉さんは何を根拠にしてその古さが決定されていると思っておられますか。

   そのメジャーとなるものは骨に含まれる炭素を利用したものです。・・・  この測定方法には、おもしろい実験があったということを、高校の科学の先生に教 えていただいたことがあります。同じ物を様々な大学、研究者に同じ方法で測定して いただいたところ、数万年から数百万年前までバラバラの測定結果がでたそうです。  恐らく、それぞれの研究者が日頃自分が主張している学説に合わせて測定したので はないかと思います。

炭素14年代学をまるでくデタラメであるごとく宣伝するのは、ファンダメンタリストと呼ばれる熱狂的な信者の間で、たらい回しにされている護教論の定番の一つですが、いつものことながら、炭素14年代学についての彼らの無知で無責任な発言にはあきれるものがあります。

この問題についてはすでに、わたしの意見をなんどか述べていますので、そちらをごらんください。

	作者よりTMさんへ 
	作者より匿名希望さんへ 
	作者よりK.M.さんへ

(2)系図の年代

私も以前聖書の系図をたどり、年数を計算しましたら、佐倉さんのような結果にな りました。  でも、後に気がついたのは、ユダヤ人の系図の用い方と日本人的(もしくは現代人 的)な私の考えのギャップです。ユダヤ人にとって、必ずしも系図はすべての人を記 さないとうことです。途中の何人かを削除して記録され、あるいは記憶されるのです 。そのことは新訳聖書のイエス様の系図にも見られます。

ここで系図の年数計算といわれているのは、アダム創造がいまからおよそ6千年前で、ノアの洪水がおよそ4千数百年前になることを指して言われているのでしょう。しかし、この年数計算は「佐倉さんのような結果」ではありません。いわゆる「若い地球説」(「地球の歴史は1万年以下である」)などの主張にみられるように、ファンダメンタリストと呼ばれる、聖書は神の言葉であっていかなる間違いもないと信じる人々の計算の結果です。わたしの主張はその主張が現代科学の結果と矛盾していることを述べているだけです。

川口さんが、聖書の系図は「途中の何人かを削除して記録され、あるいは記憶される」と言われているのも、それは別の問題に対処するために、このファンダメンタリストと呼ばれる人々が護教のために生み出された考え方で、川口さんは、そのファンダメンタリスト文献を混同されているのです。彼らは、別の問題のために「途中の何人かを削除して記録され、あるいは記憶される」を主張はしていますが、基本的に、アダム創造がいまからおよそ6千年前で、ノアの洪水がおよそ4千数百年前であることの主張を捨てているわけではないからです。

ファンダメンタリストと呼ばれる人々の間で、聖書の系図は「途中の何人かを削除して記録され、あるいは記憶される」という護教論がうまれたのは、もともと、たとえば、イスラエル人たちがエジプトに滞在していた期間はどのくらいであったかなどについて、聖書の記述に問題があるからです。

出エジプト記6章16〜20節によれば、エジプトに父とともに移住したヤコブの子レビからエジプトから脱出したモーセまでは3世代であったと記述していますが、ガラテヤ人への手紙によれば、イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は430年であったと記述しています。3世代で430年は長すぎるという批判が昔からあるのです。この批判に対処するための護教論の定石が、聖書の系図では「途中の何人かを削除して記録され、あるいは記憶される」という主張なのです。

エジプト滞在期間は実際は3世代ではなかったと解釈したとしても、エジプト滞在期間の430年を否定するわけではないので、アダム創造がいまからおよそ6千年前で、ノアの洪水がおよそ4千数百年前である、という基本的なファンダメンタリスト歴史観は変わらないのです。

川口さんが「私も以前聖書の系図をたどり、年数を計算しましたら、佐倉さんのような結果になりました」と言われていますのは、おそらく、このファンダメンタリスト歴史観の文献を読まれたからで、「後に気がついたのは、ユダヤ人の系図の用い方と日本人的(もしくは現代人的)な私の考えのギャップです・・・」と言われているのは、イスラエル人のエジプト滞在期間の問題に対するファンダメンタリスト護教論をどこかで読まれたからでしょう。川口さんはこの二つを混同しておられるのです。お仲間のファンダメンタリストの牧師さんなり、お友達なりに聞いてお確かめください。アダム創造がいまからおよそ6千年前で、ノアの洪水がおよそ4千数百年前である、というのは彼らの主張なのです。


おたより、ありがとうございました。


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