佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


  ホー  キリスト  聖書の間違い  来訪者の声 

川口さんより

00年6月22日

初めまして、川口と申します。

随分、むかしに造られたホームページですので、もしかしたら今さらと思われるかも しれませんが、いくつか質問させていただきます。

 久保さんのからのメールに対する、佐倉さんのお答えについてです。

1 新共同訳では、創二章でまるで人が造られた後に、動物が造られたとも思える表 現で約されていますが、新改訳聖書では、そのような訳され方をしていません。その あたりは、何か考慮に入れておられるでしょうか?それとも、聖書だけではなく、新 共同訳という訳の聖書だけにあてはまる佐倉さんの考えなのでしょうか?

2 佐倉さんは、文学の学びをされたことはありますか?  創2:4に、神と主があるのはなぜでしょうか?ここが二つの創造物語りの接点に なっています。そして、言語学者の中には、ここが物語りの視点のチェンジを表し、 当時の文学的表現の構造の一つであったと言う人があります。ようするに、二つのも のを後から接続したのではなく、一人の著者が最初から豊かな文学的常識を用いて書 いたということです。

 4節の主と神の順序に注目すると、主が最初で神がその次ぎに来ています。つまり 、二つの話しは重ねて書かれているということです。後からつけたと考えることに妥 当性が無いように思えますがいかがでしょうか?    





作者より川口さんへ

00年7月4日

(1)新共同訳と新改訳

新共同訳では、創二章でまるで人が造られた後に、動物が造られたとも思える表現で約されていますが、新改訳聖書では、そのような訳され方をしていません。

わたしの持っている新改訳と川口さんの持っている新改訳とは違うのでしょうか(^^)

神である主が地と天を創造されたとき、地には、まだ一本の野の潅木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神である主が地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである。ただ、霧が地から立ち上り、土地の全面を潤していた。その後、神である主、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は生きものとなった。・・・神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。・・・その後神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を作ろう。」神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、人にふさわしい助けてが見あたらなかった。そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。(創世記 2:4〜22、新改訳)

というわけで、わたしの持っている新改訳でも、世界中の翻訳と同じように、もともとのヘブライ語と同じように、人(アダム)、つまり男がまず最初に造られ、それから植物、動物、それから最後に、女(エバ)が造られたことになっています。川口さんの持っている新改訳はどうなっているのでしょう、興味があります。


(2)「神である主」

創2:4に、神と主があるのはなぜでしょうか?ここが二つの創造物語りの接点になっています。そして、言語学者の中には、ここが物語りの視点のチェンジを表し、当時の文学的表現の構造の一つであったと言う人があります。

「物語りの視点のチェンジを表し」ているというのは、そのとおりです。だから、別々の時代の別々の作者が書いたというのが現代聖書学でもっとも有力な解釈となっているのです。

「神である主」は「ヤーヴェ・エロヒーム」の新改訳の訳出です。直訳すれば「ヤーヴェ神」(ヤーヴェという名前の神)です。新改訳やその他の訳では「ヤーヴェ」としないで「主」とするのは、神の名前を直接使うのはおそれおおいというユダヤ人の伝統に従っているわけです。

第一章の創造物語では一度も固有名詞である神の名前「ヤーヴェ」を使いません。ただ「神」というだけです。

そのとき、が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。(創世記 1:3)

は「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現れよ。」と仰せられた。するとそのようになった。(創世記 1:9)

といった具合です。「ヤーヴェ神」も、単に「創2:4」だけでなく、第二章の創造物語を通して使われています。上記の引用でも赤字で示しておきました。

これらの違いは、同じ作者が異なる「文学的表現」をした結果ではなく、別々の作者によって書かれた結果と考えるべき理由はたくさんあります。それについては、もう簡単に紹介しましたので、繰り返しませんが、ここでは、それが、わたしの勝手な想像ではなく、現代聖書学の定説であることだけを述べて、三人の著名な学者を紹介しておきます。ご自分でお調べになることをお勧めします。

結論的に申しますと、一章の方がずっと新しく、二章四節後半〜三章終わりまではソロモンの時代に、ヤハヴェ資料 -- ヤハヴェという神名を初めから使うので、そう言っているのです -- が書いております。それに対して一章〜二章四節前半は初めからヤハヴェとは書いておりません。ヤハヴェというイスラエルの神の本来の名前は、この資料によりますと、出エジプト記六章になって初めて出てまいります。この資料では「神」ということだけしか初めは言っていないのです。そして「ヤハヴェ」を使っている資料から四、五百年も後に、これは祭司階級の間で書かれた、というのが大体通説となっておりますので「祭司資料」と言っているのです・・・(より詳しくは、一番最近出ました『聖書学論集』28〔日本聖書学研究所編〕の木幡藤子氏の論文 -- 1996年三月に出た『日本の聖書学2』に再録。)

(関根正雄、『聖書の信仰と思想:全聖書思想史概説』、教文館、12〜13ページ)

現存の創世記は、少なくとも時代を異にする三つの資料層から成り立っていることが明らかにされている。神名ヤハゥエを用いるヤハゥエ(J)資料層(創世記‐出エジプト記‐民数記に散在。前10‐9世紀。素材は12‐11世紀のものがある)、神名にエローヒームを用いるエロヒム(E)資料層(創世記‐出エジプト記‐民数記に散在。前9‐8世紀。素材はヤハゥエ資料層同様古いものがある。前7世紀にヤハゥエ資料層と混同された)、それに同じく神名エローヒームを用いる祭司的(P)資料層(創世記‐出エジプト記‐レビ記‐民数記に散在。前6‐5世紀。神殿に仕えていた祭司グループの手になりバビロニア捕囚時代から編纂)がそれである。祭司学派の叙述は、イスラエルの伝統の整理・保存のため、系図・年代・日付・統計などの客観的記述を好んで用い、これらは諸史料を編纂する枠の役割をも果たしている。文体は無味乾燥であるが、深い神学的洞察はヤハゥエ資料層・エロヒム資料層の遠く及ばないものがある。

(高橋正男、『旧約聖書の世界』、時事通信社、44〜45ページ)

[説話、リスト、系図、歌、法律など]種々の形式・文体をもつ伝承が現在我々の手にするトーラー[モーセ五書]に纏められ、完結した形をとるまでには、幾つかの段階と編集者が存在したことを、我々は容易に想定することができよう。そのことは、物語の重複(創造、1/2〜3、サラの危機、12/20、ハガルの逃亡、16/21)、差異・矛盾(ノアの箱船に入る動物の数の違い、6〜9)などから明らかであるが、最も明瞭な差異は、神名の違いである。

たとえば、二つの「ハガル逃亡」を比較してみるならば、創世記16・3〜14では、神名は固有名詞の「ヤハゥエ」(口語訳「主」)であるのに対し、21・9〜19では、普通名詞「エロヒーム」(「神」)が用いられている。このように神名にヤハゥエを用いている部分をヤハゥエ資料(略号)と呼ぶのが現在の学問的な慣わしである。同じく、モーセ五書の中では、エローヒム資料(E)、祭司資料(P)、申命記(D)の諸史料の存在が想定されている。

これらの資料の記述の仕方には幾つかの特徴が認められる。Jにおいては、ヤハゥエもしくはヤハゥエの使いが直接に人間と語るのに対し(例、創12・1、16・8)、Eにおいては、神は「夢の中で」もしくは「天から」語りかける(例、創20・3、21・17)。Jは具体的で素朴であるのに対し(「園の中でヤハゥエの歩き回る足音を聞いた」、創3・8)、Eは神と人間の距離を意識している。JとEには物語が多く、法律は僅かしか含んでいない。・・・

これに比べて、Pには明らかに法的規定が多い。祭司資料の名は、祭司的・祭儀的事項に対する関心の高さに由来する。したがって例えば、割礼(創17・9以下)、幕屋建設の詳細(出25〜30、35〜40)、その他多くの祭儀に関する規定はPに由来する。系図、年齢、出来事の年表等の年代記的記録もそうである。これらの中に古代イスラエルにおいて祭司グループの間で育成されてきた学殖がよく示されている。創世記1章の創造物語も組織的に思考し秩序立てるPの特徴を顕にしている。

これらの資料のうち、Jが最も古く、ダビデ・ソロモン時代に(前10世紀)、それまで各部族の間で主として口頭で伝えられていた諸伝承を編集して、原初史‐族長史‐出エジプト‐シナイでの律法授与‐荒野放浪‐約束の土地の取得という救済史的な順序に記述したのである。

EはJよりやや遅れ(前9世紀)、Jを補正し、最後に年代記的構造をもったPが枠組みとなって全体を纏めたのであろう(前6世紀)。申命記は前7世紀のものであるが、長く独立して存在し、最後にJEPに加わったと考えられる。

このようにトーラー[モーセ五書]は長い歴史を経て成立した書であるが、単に多様な伝承が混在しているのではなくして、それぞれの伝承・資料の成立した時代の思想が織り込まれ、纏められている書であることを、われわれは知るべきであろう。各伝承の編集者達は、古い伝承から自分たちの生き方の指針を読み取りつつ、自分たちの体験をその中に新たに書き加えていったのである。

(荒井章三、「律法(モーセ五書)」、『聖書の世界』、自由国民社、97〜99ページ)

このように、二つの創造物語は、まず、第二章(4節後半以降)の創造物語(アダムを土から形造り、エバをアダムのあばら骨から形造った、云々)が、ダビデ・ソロモン時代に(前10〜9世紀)に、古い伝承を編集して作りあげられたものであり、第一章の創造物語(神は光りあれと言われた。すると光があった、云々)は、それよりも、ずっと時代の下ったバビロニア捕囚時代(前6‐5世紀)の当時の知的エリート(祭司階級)の手によるもの、というのが今日の聖書学の定説です。


(3)「ヤーヴェ神」

4節の主と神の順序に注目すると、主が最初で神がその次ぎに来ています。つまり 、二つの話しは重ねて書かれているということです。後からつけたと考えることに妥 当性が無いように思えますがいかがでしょうか?

おっしゃっていることの意味がわかりません。2章に始まる創造物語では神が「神である主」(直訳は「ヤーヴェ神」)と呼ばれていると、どうして、二つの物語があとからくっつけられたことにならなくなるのでしょうか。むしろ逆に、1章では「神は・・」と言っていたのを、2章になると、突然、「ヤーヴェ神は・・」と言い始めるわけですから、同じ作者が一章の創造物語に続いて2章に始まる創造物語も書いていると考えるほうが、よほど不自然です。

なぜ、2章〜3章では「ヤーヴェ神」というふうに「ヤーヴェ」と「神」の両方で神が言及されているのかというと、その理由は、

ヤーヴェは、アベルとその捧げ物とに目を留められた。(4節)・・・ ヤーヴェは、カインに仰せられた。(6節)・・・ カインはヤーヴェの前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。(16節)
といった具合に、4章以下が示しているように、もともと、J資料では神はただ「ヤーヴェ」という名前で呼ばれており、それに、P資料の「神は・・」の創造物語をその前に持ってきてくっつけようとしたために、「神」についての話が突然「ヤーヴェ」についての話になるという不自然きわまりない状態が生まれるので、くっつけた最初の部分の「ヤーヴェ」という表現を「ヤーヴェ神」と編集し直すことで、異資料の総合が生んだ、「神」から「ヤーヴェ」への不自然きわまりない変化を和らげようとした、と考えられます。


(4)「ヤーヴェ」と「神」

最後に、なぜ、神を「ヤーヴェ」という名前で呼ぶ部分と、神を「神」という普通名詞で呼ぶ部分が、同じ作者によるものでないと考えられるのか、もう一つ理由をあげておきます。上記に引用した関根正雄氏も言及しておられますように、出エジプト記の六章は次のように述べています。

神はモーセに告げて仰せられた。「わたしはヤーヴェである。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神[エル・シャダイ]として現れたが、ヤーヴェという名では、わたしを彼らに知らせなかった

(出エジプト記、6章2〜3節)

この記述によれば、神はモーセに自分の名前がヤーヴェであることを告知し、それまでのイスラエルの古人たちには、神は自分の名前がヤーヴェであることを知らせなかった、と言っています。ところが、創世記を読むと、アブラハムも、イサクも、ヤコブも、みんな神を「ヤーヴェ」と呼んでいます。
アブラハムは彼[しもべ]に言った「・・・私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える』と約束して仰せられた天の神、ヤーヴェは、御使いをあなたの前に遣わされる。」(創世記24:6〜7)

イサクは、ヤコブの着物のかおりをかぎ、彼を祝福して言った。「ああ、わが子のかおり。ヤーヴェが祝福された野のかおりのようだ。」(創世記27:27)

そうしてヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あたなの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする』と仰せられたヤーヴェよ。」(創世記32:9)

さらに、創世記4章の記述によれば、アダムの孫エノシュの時に、すでに、人々は神を「ヤーヴェ」と呼んでいたことになっています。

[アダムの子]セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名付けた。そのとき、人々はヤーヴェの御名によって祈ることを始めた。(4:26)

一方では、モーセ以前のイスラエルの古人たちは神の名前「ヤーヴェ」を知らなかったという記述があり、他方では、そんな記述にはお構いなく、それら古人に平気で「ヤーヴェ」と語らせる記述があります。これは、後者と違って、前者の所属するグループの伝承においては、モーセ以前の物語では「ヤーヴェ」が使われていなかった事実を示しています。すなわち、聖書の成立過程において、神を「ヤーヴェ」とその名前で呼ぶ伝承と、神を「ヤーヴェ」と呼ばない伝承が、別々に成立していた時期があったことを示しています。


なお、今回引用した学者たちは、Jは「ヤーヴェ」(JHVH)、Eは「エロヒーム」(それぞれの頭文字)に由来する、と言っていますが、学者によっては、Jを「ユダ」、Eを「エフライム」(それぞれの頭文字)と結びつける場合があります。イスラエルの統一王国はソロモンの後、南北の二つに分裂しますが、ユダはその南側(南方ユダ王国)の代表部族・地方であり、エフライムは北側(北方イスラエル王国)の代表部族・地方のことをさします。資料の内容からみて、Jは南方ユダ王国の事情と強く関連しており、Eは北方イスラエル王国の事情と深く関連しているからです。よく知られていますように、イスラエルの統一王国時代はとても短くて、北方イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされるまで、ながい分裂と対立の時代が続きました。この長い分裂時代が、神名の違いなど、二つの伝承が矛盾や相違を含むようになった歴史的背景であり、J資料とE資料の間の本質的な相違である、とする見方から、Jを「ユダ」(南方伝承)、Eを「エフライム」(北方伝承)と結びつけるわけです。


(注:今回の聖書引用はすべて新改訳です。「主」は、本来の「ヤーヴェ」に戻しています。)


おたより、ありがとうございました。


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