佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


  ホー   キリスト   聖書の 間違い  来訪者 の声 

K.M.さんより

99年12月14日

「聖書の間違い―裏切り者ユダの死」に対する反論

裏切り者ユダの死

マタイ27章5節によると、ユダは首をつって死にました。しかし、使徒1章18節 は、「まっさかさまに落ちて、その身は真ん中から音を立てて張り裂け、その腸 はみな注ぎ出された」と述べています。マタイはユダが自殺しようとして試みた “方法”を扱っているようで、「使徒行伝」はその結果を描写しています。これ ら二つの記述を総合すると、ユダはある断崖の上で首をつって死のうとしたもの の、綱が切れたか木の枝が折れたために落下し、下方の岩に当たって張り裂けた ようです。エルサレム周辺の地形を考えると、そうしたことはあり得ないことで はありません。

また、ユダの死に関連しては、誰が埋葬地の畑を銀30枚で買ったかという疑問も あります。マタイ 27章6,7節によれば、祭司長たちはそのお金を聖なる宝物庫 に入れることは出来ないと決定し、「彼らが」そのお金で畑を買いました。使徒 1章18,19節の記述には、ユダについて、「それで、実にこの人は、不義に対す る報酬で畑を買い取った」と述べられています。それで、畑を買い取ったのは祭 司長たちでしたが、お金を出したのはユダだったので、ユダが買ったということ ができた、というのが答えのようです。A・エダーシェイム博士はこう指摘しま した。「不法な仕方で得た金を神殿の宝物庫に納めて神聖なものの購入費にあて ることは許されなかった。そのような場合、ユダヤ人の律法では、その金を提供 者に返すべきこと、またもし提供者がどうしてもそれを寄付するというのなら、 公共の安寧[福祉]のための何かにそれを使うようその提供者を説得すべきこと が規定されていた。……法律上の擬制により、依然その金はユダのものとみなさ れ、よく知られていた『陶器師の畑』を買い取るにあたってユダが用いたものと みなされた。」(『メシア・イエスの生涯と時代』、1906年、第二巻、575ペー ジ) この買い取りは、ゼカリヤ 11章13節の預言を成就することになりました。

マタイがゼカリヤ11章12,13節の預言をエレミヤの著作としているわけ

マタイの記録した預言の成就は「預言者エレミヤを通して語られたこと」に基づ いています。エレミヤ所は「後預言書」の最初の書として載せられることもあっ たので、預言者のこの区分にはエレミヤの著作だけでなく、ゼカリヤの著作も含 まれていました。(ルカ 22:44と比較してください)マタイの引用文は主にゼ カリヤ 11章12,13節のものと思われますが、彼はそれを神の霊による霊感を受 けて言い換えて、それを成就するものとなった状況に当てはめました。その土地 は陶器師の畑だったので、地力が衰え、ほとんど値打ちのないもの、つまり一人 の奴隷の価ほどの価値にしかないものとみなしたのでしょう。出エジプト記 21 章32節によると、奴隷の代価は30シェケルでした。この規定が敷延されて、ゼカ リヤは民の牧者としての働きに対し「銀三十枚」という支払いを受けました。エ ホバはそれを極めて不十分な額としてさげすみ、ゼカリヤに与えられた賃金を、 不信仰な民が神ご自身をどのように見ているかを示す評価額とみなしました。ち なみに、ゼカリヤ 11章13節の「鋳物師(陶器師)」とはエホバを表しており (イザヤ 64:8)、新共同訳の「鋳物師に投げ与える」とは「宝物庫に投げ込 む」(新世界訳)ことを意味しています。



作者よりK.M.さんへ

00年1月16日

<準備中です>

おたより、ありがとうございました。


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