エズラ記(2:1−67)とネヘミヤ記(7:6−69)にはどちらにも、ゼルバベルとともにバビロンでの流刑から帰還したさまざまな氏族や家に属する男子の数が記載されています。どちらの記述にも、奴隷や歌うたいたちを別として、流刑から帰還した人々のうち男子の総数を4万2,360人とする点で一致しています。(エズ 2:64;ネヘ 7:66)しかし、それぞれの氏族や家の成員としてあげられている人数には違いがあり、どちらの書の場合も名簿に記載されているここの数字を合計すると、4万2,360人よりはるかに少ない数になります。この相違を書写上の誤りによるものと考える学者は少なくありません。その面をまったく無視することはできませんが、その相違についてはほかにも説明の仕方があります。

エズラとネヘミヤは、それぞれ別の資料に基づいて名簿を作成したのかもしれません。たとえば、エズラは故国へ帰還すべく登録した人々について記載している文章を用いたと考えられるのに対し、ネヘミヤは実際に帰還した人々についての記録から書き写したのかも知れません。自分の系図を確立できない祭司がいたのですから(エズ 2:61−63;ネヘ 7:63−65)、他のイスラエル人の中にも同じ問題に直面した人が少なかったと結論するのは不合理なことではありません。したがって、4万2,360人という数は、各氏族の成員に、自分の先祖を確立できなかった他の多くの人々を加えた総合計であろうと考えられます。(ですから、それぞれの部族の数は、「イスラエルの男子の数」(2:2)とい書いてあるように、男性だけの数を示しており、「会衆の総数」(2:64)は、男女合わせた数である、という理由ではありません。)しかし、後に自分の正しい系図を確立できた人たちがいたかもしれません。個々の人数に違いがあったにもかかわらず総数が同じになる理由も、それで説明できます。


エズラは故国へ帰還すべく登録した人々について記載している文章を用いたと考えられるのに対し、ネヘミヤは実際に帰還した人々についての記録から書き写したのかも知れません。
一方を「これから帰ろうとする人々」、他方を「実際に帰った人々」と区別するのは、「ファンダメンタリスト」と呼ばれる人々の文献によく見かける、古い言い訳のひとつです。しかし、それには何らの聖書的根拠もありません。勝手な推測です。しかも、それは間違っています。なぜなら、エズラ記もネヘミヤ記も、一致して、次のように記述しているからです。
エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。(ネヘミヤ記7章6節)

エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。(エズラ記2章1節)