私は、週に1回教会に通う24歳の男性です。確かに聖書には難解なところが多く、我々日本人にはどうにも信じがたいという点があります。でも仏教の基本原理が無常観であるのと比べてキリスト教の神絶対論の方が、人の人生豊かにできると思います。人間という存在は決して偶然から生まれたのではなく、神が創ったと考える方が自分の人生に感謝できるからです。自分は色々と悩みを抱えていますがキリスト教を信じることによって心の荷が少し軽くなったような気がします。だから私はキリスト教を信じて行こうと思います。

P.S 佐倉さんのホームページはとても見やすく、冷静かつ論理的な文章でとても参考になりました。ありがとうございました。

(1)仏教の無常観と偶然論

仏教の基本原理が無常観であるのと比べてキリスト教の神絶対論の方が、人の人生豊かにできると思います。人間という存在は決して偶然から生まれたのではなく、神が創ったと考える方が自分の人生に感謝できるからです。
わたしにはここで言われていることがよく理解できません。どうして、仏教の無常観が偶然論に結びつくのでしょうか。仏教の無常観は、わたしの理解するところでは、
すべての存在や現象にはそれを成立させている原因や条件があり、原因や条件がなければいかなるものの存在も現象も成立しない。
という縁起説・無我説と深く結びついているものの見方です。このために、たとえば、仏教は原因なしに(つまり偶然に)存在している創造神のようなものを認めることがありませんでした。(くわしくは、春秋社『講座・大乗仏教9 認識論と論理学』など参照して下さい。)仏教と偶然論を結びつけるのはとてもおかしいとわたしには思われますが、ジョナサンさんは、どのような根拠から、仏教の無常観を偶然論と結びつけられたのですか。

(2)創造主と人生の豊かさ

「キリスト教の神絶対論」による神にはそれを創った創造主はいないわけですから、ジョナサンさんの思考方法に従えば、神は、理由や目的もなく、偶然に存在していることになります。神には創造者がいないということは、神の人生は豊かでないことになるのでしょうか。神には創造者がいないので、神は自分の人生にあまり感謝できないのでしょうか。

もし、創造主なしに存在しているもの(たとえば神)がその人生を豊かにすることができるとすれば、人生を豊かにすることができるかいなかは、創造主のあるなしはまったく関係ない、ということになると思いますが、どうでしょうか。