確かにこの聖句を字面だけ観ると矛盾しているように見えます。しかし、よく 読めば矛盾しません。イエスにお願いごとをしたのは明らかに「ゼベダイの息子 たちの母」です。しかし、その願いはヤコブとヨハネが自分たちの母に言わせた ものでした。ですから、マルコはその事実を伝えているのです。たとえば、小渕 首相が野中官房長官を通して発表したことは、結果的に小渕首相が発表したこと として記録されます。それと同じです。 また、ルカ1章1節から3節はルカが「最初から目撃してみ言葉のために働いた」 人々から聞いたことを書いたと言っているので、伝承ではありません。

イエスにお願いごとをしたのは明らかに「ゼベダイの息子たちの母」です。しかし、その願いはヤコブとヨハネが自分たちの母に言わせたものでした。ですから、マルコはその事実を伝えているのです。
それでは、もう一度、マルコ(10:35-37)を読んでみましょう。
ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」

いったい、いかなる良心をもって、この記述を「ヤコブとヨハネが自分たちの母に言わせたもの」と解釈できるのでしょうか。