第一章の「種を結ぶ草木」、「果実の木」と 第二章の「野の茂み」、「野の 草木」は同じではありません。ここの「野」という言葉はヘブライ語のサーテの 訳です。その語には「狩猟地;放牧や農作に使われる一続きの土地;未開墾の森 林地区;山頂;特定の民族の住む地方」という意味があります。創世紀1章11、 12節では「地は草を、種を結ぶ草木を、種が中にある果実をその種類にしたがっ て産する果実の木を、地の上 に生え出させるように。」とあり、この時地には 草が生えていなかったことが分かります。したがって、両者が同じものではない ことが分かります。この「生え出させる」に対応するヘブライ語は完了態ではな く、未完了態が用いられています。ですから、正確に訳せば「地は…草木を…地 の上に徐々に生え出させるように。」という意味になります。ゆえに、創世紀1 章12節の創造の三日目にすべての草木が創造されたわけではありません。

また、創世紀1章24,25節も同じです。『地は生きた魂をその種類にし たがい、家畜と動く生き物と地の野獣をその種類にしたがって出すように。』と いう文の「出す」にはヘブライ語の未完了態が用いられています。ですから、人 を造り始める前に「家畜と動く生き物と地の野獣」を造る業が完了したわけでは ありません。多くの聖書で創世紀2章19節が完了態に訳されているのは「ワウ 転換法」という特殊な翻訳法が用いられているためです。ワウ転換法については 「新世界訳聖書―参照資料付き」の付録3ハをご覧ください。

次に、出エジプト記6章の件ですが、問題となっている2節の「わたしの名 エホバに関しては」という部分はヘブライ語ではウーシェミー エフワーとなっ ており、正しい翻訳であることが分かります。7節で「わたしが…エホバであ… ること知るであろう」とある事に関して、インペリアル聖書辞典は「エホバが本 当にその名によって表されている通りの方であることを経験によって知ること」 であると解説しています。ですからモーセがそれまで神の名を知らなかったわけ ではありません。


(1)一章の植物と二章の植物

第一章の「種を結ぶ草木」、「果実の木」と 第二章の「野の茂み」、「野の 草木」は同じではありません。ここの「野」という言葉はヘブライ語のサーテの 訳です。その語には「狩猟地;放牧や農作に使われる一続きの土地;未開墾の森 林地区;山頂;特定の民族の住む地方」という意味があります。創世紀1章11、 12節では「地は草を、種を結ぶ草木を、種が中にある果実をその種類にしたがっ て産する果実の木を、地の上 に生え出させるように。」とあり、この時地には 草が生えていなかったことが分かります。したがって、両者が同じものではない ことが分かります。
「したがって」の前の部分から、「したがって」の後の部分が、どのように帰結するのか、その論理がいっこうにあきらかではありません。すなわち、おっしゃっているようなことがら(「その語には「狩猟地;放牧や農作に使われる一続きの土地;未開墾の森林地区;山頂;特定の民族の住む地方」という意味があります」)から、一章の植物と二章の植物がまったく別のものであるという結論がどのようにして出てきたのか、まったくわかりません。

それに、第二章では、「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。 ヤーウェ神が地上に雨をお送りにならなかったからである」となっているように、植物一般のことを指していると解釈するのが自然です。そうでなければ、「ヤーウェ神が地上に雨をお送りにならなかったからである」という説明がついているはずがありません。


(2)問題からずれています

正確に訳せば「地は…草木を…地 の上に徐々に生え出させるように。」という意味になります。ゆえに、創世紀1 章12節の創造の三日目にすべての草木が創造されたわけではありません。・・・・・ヘブライ語の未完了態が用いられています。ですから、人を造り始める前に「家畜と動く生き物と地の野獣」を造る業が完了したわけではありません。多くの聖書で創世紀2章19節が完了態に訳されているのは「ワウ転換法」という特殊な翻訳法が用いられているためです。ワウ転換法については「新世界訳聖書―参照資料付き」の付録3ハをご覧ください。
そんなことが問題になっているのでありません。

矛盾は次のところにあるのです。まず、第二章の植物創造に関する記述は次のようになっています。

ヤーウェ神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。 ヤーウェ神が 地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出 て、土の面をすべて潤した。 ヤーウェ神は土の塵で人を形づくり、その鼻に息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 ヤーウェ神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれ た。 ヤーウェ神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生え出でさせ、 また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生え出でさせられた。
ここでは、明らかに、人(アダム)が造られる前には、「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった」と記されています。すなわち、第二章の創造順序では、まず人が作られ、それから植物がつくられます。このために、人が作られる前に「地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた」と記す第一章の記述と矛盾するのです。


(3)なんですか、これは?

問題となっている2節の「わたしの名エホバに関しては」という部分はヘブライ語ではウーシェミー エフワーとなっ ており、正しい翻訳であることが分かります。
ちょっと、ご自分のおっしゃっている内容をよくみて下さい。いかにして、
問題となっている2節の「わたしの名エホバに関しては」という部分はヘブライ語ではウーシェミー エフワーとなっ て[いる]
ことから、
正しい翻訳であることが分か[る]
のでしょうか。その意味は、「ヤーウェという名では、わたしを彼らに知らせなかった」(新改訳)であるのに、「わたしの名エホバ(ヤーウェ)に関しては」と翻訳しているから、『新世界訳』(エホバの証人の聖書)の翻訳は聖書の矛盾を隠ぺいするための工夫を施している、と申し上げたのです。


インペリアル聖書辞典は「エホバが本 当にその名によって表されている通りの方であることを経験によって知ること」 であると解説しています。
身内の証言はアリバイになりません。インペリアル聖書辞典も(聖書の矛盾を隠ぺいする)同じ罪を犯しているということが明らかになるだけです。