貴殿はわたしの意見に反論するのに新共同訳を用いておられますが、それは意味を成しません。なぜなら、新共同訳を翻訳したのは「永遠の命などない」と主張するプロテスタントだからです。ですから、箴言3章や、詩編21編、37編などはその信条に合うように翻訳されている恐れがあります。また、イザヤ25章をカナンの神「モト」のことを述べていると考えるのはあまりにも強引で無理があるように思われます。むしろ、創世記3章の「約束の胤」の到来により「永遠の命」が与えられることを述べていると考える方が理に叶っています。


貴殿はわたしの意見に反論するのに新共同訳を用いておられますが、それは意味を成しません。なぜなら、新共同訳を翻訳したのは「永遠の命などない」と主張するプロテスタントだからです。
プロテスタントが「永遠の命などない」と主張している、というのも大きな誤解ですが、「新共同訳」がプロテスタントの翻訳であるというのも、まったくいい加減な、いいがかりです。「新共同訳」はカトリックとプロテスタントの共同の翻訳です。だから「共同訳」なのです。
私たちは、今、このような形で、プロテスタント、カトリック両教会の共同事業として、「聖書 新共同訳」を公にすることができたことを深く感謝しています。(序文より)
それに、プロテスタントの間には聖書解釈にさまざまな相違があり、エホバの証人の組織のように全員一致しているわけではありません。