貴殿の指摘を誤解しているわけではありません。ただ、説明の仕方がちょっとまずかったようですので、補足します。

この創世紀1章の記述は、執筆者のモーセの視点から書かれています。モーセのいる地上からは水中にいる三葉虫などの無脊椎動物や植物は見えません。ですからモーセは、そういった生物が創造の三日目以前に創造されたことを描写できませんでした。しかし、そういった生物が創造の三日目以前にいたことを示すのが、この創世紀1章20節の神の言葉なのです。ここで神は「水は生きた魂の群れを群がり出させ[よ]」と述べて、「大きな海の巨獣と動き回るあらゆる生きた魂」そして「翼のあるあらゆる飛ぶ生き物」を造られました。ですからこれらはそれ以前は水の中(海)にいたと見ることができるでしょう。ですから、聖書の創世記は現代地質学・生物科学と同じように、水中に生物が現れた後、地上に生物が現れたと述べているのです。


モーセのいる地上からは水中にいる三葉虫などの無脊椎動物や植物は見えません。ですからモーセは、そういった生物が創造の三日目以前に創造されたことを描写できませんでした。
苦しい詭弁です。


そういった生物が創造の三日目以前にいたことを示すのが、この創世紀1章20節の神の言葉なのです。ここで神は「水は生きた魂の群れを群がり出させ[よ]」と述べて、「大きな海の巨獣と動き回るあらゆる生きた魂」そして「翼のあるあらゆる飛ぶ生き物」を造られました。ですからこれらはそれ以前は水の中(海)にいたと見ることができるでしょう。ですから、聖書の創世記は現代地質学・生物科学と同じように、水中に生物が現れた後、地上に生物が現れたと述べているのです。
意味が通じません。どうしてそれで、三日目以前に水中生物がいたことになるのでしょうか。第五日の部分をもういちど全部読んでみましょう。
ついで神は、「水は生き物の群れが、群がるようになれ。また鳥は地の上、天の大空を飛べ。」と仰せられた。それで神は、海の巨獣とその種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、翼のあるすべての鳥を創造された。神は見て、それをよしとされた。神はまた、それらを祝福して仰せられた。「生めよ、ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は、地にふえよ。」こうして、夕があり、朝があった。第五日。(新改訳)
神は第五日目に「水に群がりうごめくすべての生き物」を造った、というのが創世記の記述です。ヘブライ語でもそうなっています。
・・・ヴァイヴラー(そして創造した) エローヒム(神は) エット(を) ハタニニーム(海の怪物) ハゲドリーム(大きな) ヴェエット(と〜を) コル(すべての) ネフェシュ(魂) ハハヤー(生き物の) ハロメセット(這っている) アシェル(ところの) シャレツー(群がらせた) ハマイム(水が) レミネヘム(かれらの種類にしたがって)