この矛盾を考慮する前に、この創世紀を記したのがモーセであることをはっきりさせておかねばなりません。モーセは創世紀1章を自分の視点から記しました。モーセの視点からは創造の三日目までは太陽や月は見えませんでした。おそらく、岡崎満さんが述べているように「地球の創造のはじめは水蒸気で地は霧と厚い雲におおわれていて地上からは星も太陽もその姿を見ることができなかった」からでしょう。神は創造の三日目に植物を創造されました。ですから、その影響で太陽が見えるようになったのでしょう。ちなみに新世界訳では「光る物あれ」ではなく「光体が生じ」るようにとなっています。太陽や月が見えるようになったことは、地上から見ると「光体が生じ」たことになります。そうなったことで、植物の光合成がより活発になり、五日目に創造された「大きな海の巨獣と動き回るあらゆる生きた魂」や「翼のあるあらゆる飛ぶ生き物」に必要な酸素を充分に供給できるようになります。


ちなみに新世界訳では「光る物あれ」ではなく「光体が生じ」るようにとなっています。
同じことです。その証拠に、たとえば、第一日目の光の創造のときは、「新世界訳」でも、ちゃんと
それから神は言われた。「光が生じるように」。すると光があるようになった。(新世界訳、1:3)
となっています。「生じるように」とは「あれ」のことです。そのことは、「すると光があるようになった」と続いていることからもあきらかです。ここで「生じるように」と訳されている言葉は「イェヒー」というヘブライ語(「存在するようになれ」と言う意味の動詞の指示形)ですが、第四日目の太陽と月のときにもまったく同じように使われています。
次いで神は言われた。「天の大空に光体が生じて昼と夜とを区分するように。」(新世界訳、1:14)
これは、ヘブライ語では、
ヴァヨメル(そして言った) エロヒーム(神は) イェヒー(あれ) メオロット(光るものが) ビレキア(大空の中に) ハシャマイム(天の) レハヴディル(分けるために) ベン(の間と) ハヨム(昼) ウヴェント(と〜の間) ハライラ(夜)
です。光の創造(第一日目)と光る物の創造(第四日目)の文章を比べてみましょう。
1:3  ヴァヨメル(そして言った) エロヒーム(神は) イェヒー(あれ) オール(光が)

1:14 ヴァヨメル(そして言った) エロヒーム(神は) イェヒー(あれ) メオロット(光る物が)

つまり、3節の「光あれ」と14節の「光る物あれ」の間の「イェヒー」には、まったく違いがありません。造った対象が異なるだけです。一方は「光」、他方は「光る物」、すなわち、太陽と月です。それを、一方は「造った」と訳し、他方は、「見えるようになった」と訳すのは、矛盾を隠ぺいするための工作以外の何ものでもありません。

(注:上記のヘブライ語の読みおよび訳は、ミルトス・ヘブライ文化研究所の『ヘブライ語聖書対訳シリーズ 1』を参照にしました。ただし、すべてカタカナに統一しています。)