ご無沙汰しております。

佐倉さん  

私が佐倉さんへ、メールを出させていただいてから半年が過ぎました。まだまだ、ご健在のようで大変驚いています。

さて、佐倉さんは、HPでご自身の思いや考え方を表現することを自粛しておられるのではないかと感じました。

そこで、もしお聞かせ頂けるならば、佐倉さんの考える神の定義は何かお聞かせ下さい。

もう一つ、お願いがあります。佐倉さんの信じている知識とは、佐倉さん自身どのようなものであると認識しているのかお聞かせ願えませんか。

  もう一つお願いついでに、できれば仏典、聖書その他の引用は使わずに、これについて語って頂ければ幸いです。

お願いついでにもう一つお願いします。比喩や難しい表現はなるべくさけて頂きたい。

無理なお願いばかりですが、一つ宜しくお願いいたします。

ちなみに、私の神の定義は、「全知全能全ての全てにして創造主は間違い無く神である」と定義しています。(ご参考まで)

(1)神の定義

佐倉さんの考える神の定義は何かお聞かせ下さい・・・
わたしの考える神の定義というのは、つぎのようなものです。

ユダヤ教やキリスト教の伝統における神(エローヒム)の定義は、「神(エローヒム)」という言葉がユダヤ教やキリスト教の伝統なかでどのように使われているかということになります。ヒンズー教や仏教における神(デヴァ)の定義は、ヒンズー教や仏教の伝統の中で「神(デヴァ)」という言葉がいかに使われているかということになります。また、日本の神道における神(カミ)の定義は、神道において「神(カミ)」という言葉がどのように使われているかということになります。

いろいろな宗教的伝統のなかにおける神という言葉はそれぞれ甚だしく異ったものを指しているために、神の定義はそれぞれの宗教伝統の中でのみ意味を持つと思います。したがって普遍的な神の定義は無意味です。matsudaknhさんの「全知全能全ての全てにして創造主は間違い無く神である」は、ユダヤ教やキリスト教の伝統の中では正しいかもしれませんが、他の宗教伝統のなかではあきらかに間違っています。他の宗教伝統のなかでは創造主でなくても、全知全能でなくても、神であることができるからです。

ユダヤ教やキリスト教に関してのみ言えば、わたしの神の定義はmatsudaknhさんの定義とほぼ同じです。ただ、matsudaknhさんの定義ではあげられないもので、重要なことは、ユダヤ教やキリスト教の神は「絶対王」としての性格をもっている、ということです。「絶対王」としての神を考慮に入れなければ、ユダヤ教やキリスト教をより深く理解することはできないと思います。たとえば、「キリストの血の犠牲による救い」などという考え方は、絶対王としての神を考慮に入れなければ理解できないだろうと思います。「十字架のあがないと日本人」参照)


(2)知識とは

佐倉さんの信じている知識とは、佐倉さん自身どのようなものであると認識しているのかお聞かせ願えませんか・・・
わたしの知識論は、「真理と論理、および真理の根拠」(とくにその「真理の究極的根拠は必要か」のセクション)に簡単にまとめています。そちらをごらんください。