佐倉様

ちょっと気になったことがあったので、教えていただきたいと思って、メールします。佐倉さんのホームページにあった次の記述についてです。

1872年、当時大英博物館の遺物修理員であったジョージスミス氏は、古代都市ニネヴェの王宮付属図書館の遺跡から発掘された粘土版のなかに、ノアの物語と酷似した物語があることを発見しました。……

(「ノアの洪水の物語は盗作である」)

この「1872年、……ジョージ・スミス氏は……発見しました。」は、『ジャポニカ百科事典』では1862年にジョージ・スミスが書板の内容を発表した、とあります。『コンサイス外国人名事典』では、その後、スミスは大英博物館のアッシリア学助手になり、1871年に「アッシュール-バニパル年代記」を発刊した、なっています。スミスは1840年生、1876年没と人名辞典には載っています。事典関係もよくミスが見つかりますので、私も決して確信はないのですが、佐倉さんの上記の文章中の「1872年」は、出典から来た誤りではないでしょうか。私ももう一度調べてみたいので、できましたら、佐倉さんが出典になさっている書籍の書名をお教えいただければ、大変幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

わたしの引用は、高橋正男著、『旧約聖書の世界』(時事通信社、1992年)からのものです。

高橋氏は、この書の56頁から58頁にかけて、「学問に一生をささげそのためにわずか三十六歳で亡くなった」ジョージスミス(1840〜1876)の仕事についてかなりくわしく書いておられます。簡略しますと、

1872年(秋) ロンドンの大英博物館の遺物修理員として働いていたスミスは、ラッサムが1853年に発掘した粘土板文書を整理中に、その断片が聖書のノアの物語にそっくりであることを発見した。

かれは、大英博物館で、「アッシリア学の父」と呼ばれていたローリンスンの楔形文字図版の作成などを手伝っているうちに、楔形文字を学び、粘土板に記された古代文字に熱中するようになっていたのだ。

1872年12月 彼は新たに創設された「聖書考古学会」でこの発見を報告し、大センセーションを起こした。

1873〜74年 新聞社などの後援で二度にわたるニネベの発掘調査を指導し、おおきな成果を収め、洪水物語を含む大量の粘土板を発見した。

1876年 第三回目の発掘調査に出かける途中、熱病で倒れる。かれは、この年に出版された著書(高橋氏はそのタイトルを記していません)の中で、4年前(1872年)のセンセーショナルな発見について書いている。

等々。