カインに関する神の予言ははずれた(「カインは「地上をさすらう者」とならなかった)」?

いいえ、カインは、今日でさえ、もっと的確に言うならカインの末裔達は、 この1999/3/2にも、地上をさすらっています。 "地上をさすらう"の本当の意味を理解する為には、言葉のうわべだけをさらって いたのでは読み取ることは出来ません。 残念ながら、気を留めていても私達には出来ない事ですが、カインの末裔がどこ に潜んでいて、誰なのかは、私達では分かりません。 もしかすると自分自身かも知れません。 神を恐れる事。 聖書を読み抜いて行く事。 私達の判断で結論を安に求めない事が肝要ではないでしょうか? 見解の着目点は、面白く読ませて頂きました。 これからも、増々御言葉を学ばれますように。 神様が、貴方へ真の知恵と知識とを分かち合う日をお祈りしています。

ロマ12:3

99年3月6日、3月20日更新


もし、

残念ながら、気を留めていても私達には出来ない事ですが、カインの末裔がどこに潜んでいて、誰なのかは、私達では分かりません。
というのが事実だとすると、どのようにして、
いいえ、カインは、今日でさえ、もっと的確に言うならカインの末裔達は、この1999/3/2にも、地上をさすらっています。
と、断言できるのでしょうか。この断言は何を根拠になされたものでしょうか。しかも、「私達の判断で結論を安に求めない事が肝要ではないでしょうか?」とも言われていますから、Matsumura さんのこの断言は、人間的判断ではなく神的判断でなされた、とでもいうことなのでしょうか。わたしの判断と Matsumura さんの判断のどこが違うのか、人間的判断ではない判断とはどのような判断なのか、そのところを、詳細に、お聞きしたいと思います。


私達の判断で結論を安に求めない事が肝要ではないでしょうか?・・・ これからも、増々御言葉を学ばれますように。 神様が、貴方へ真の知恵と知識とを分かち合う日をお祈りしています。
自分で判断を下してはいけない。聖書は「神の御言葉」であり、書かれていることは「真の知恵と知識」である --- これでは、まるで、聖書を読むのは、聖書は理解するためではなく、神の言葉であることを信じるためである、ということになってしまいます。それでは、結局、「聖書は研究してもよいけれど、それが間違っているという結論を出してはいけない」、ということに他なりません。しかしながら、結論がはじめから決まっている研究に従事するのは、ドグマ(偶像)の徒であって、真理(神)の徒ではありません。

真実を知る努力を憎み、偶像(人間が書いた書)への永遠の忠誠を誓う。こんなものがイエスの教えだったのでしょうか。まことにあわれむべきキリスト教2000年歴史の成れの果ての姿です。