私の弟子とは誰ぞ
   1928年12月10日  「聖書之研究」341号  署名 内村生

私の弟子と称する人で私の説く教えを全然誤解している人に数多出会います、読者諸君が充分にかかる人達に注意せられんことを願います。すべ ての事を自分流儀に解釈するのが近代人の特徴であります。彼らは孔子も釈迦もキリストも自己の賛成者なりと思い、先哲に従わんとはせずして、 先哲をして自己の意見に賛成せしめます。彼等に真理を判別するの能力甚だ乏しく、自己の意見それ真理なりと思いますがゆえに、彼らの説くとこ ろに確信あり、終始一貫して、まことに真理らしく見えます。しかしながら世に完全無欠の思想程疑はしきものはありません。多くの疑問を存すればこそ真理が真理であるのであります。私は多くの人に躓きの石となるキリストの福音を説く者であります。宗教哲学を一団と成して呑み込むよう な、そんな円滑にして生命の無い教えを説く者ではありません。使徒ヨハネは言いました「偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者で なくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。」(新共同訳 ヨハネの手紙第一2:22)私も同じ事を言い ます。明白にイエスをしかりイエスにみ、キリストと認めざる者は私の説く教えを解った人ではありません。私にもし弟子があるとすれば、その人 は私のこの信仰を解ってくれた人であって、イエスが、すなわちイエスのみが神の遣わしたまいし唯一の救い主である事がハッキリと解った人であ ります。その他の人は私の弟子ではなく、もちろん信仰の兄弟または姉妹ではありません。

佐倉哲さんが内村鑑三の弟子と言われているので失礼ながらも内村鑑三の言で佐倉さんを批判しようと思います、少し的外れなところもあるかとは思いますが大意において的を獲ていると思います。佐倉さんが内村鑑三の弟子と言われるのもわからないではないですが。私はキリストにより罪 の赦しの経験をもつ者で、それが無ければ佐倉さんの意見に賛成していたでしょう。 未熟ながら内村鑑三の言のホームページをはじめたので、よろしければご覧下さい。

http://www2u.biglobe.ne.jp/‾crucifix/index.htm

山本孝寿

わたしは、もちろん、自称「内村の弟子」であって、神もキリストも信じないわたしを、内村自身が弟子として受け入れるはずがないことは、もちろん、十分、承知しています。むしろ、内村は、「おまえはわたしの弟子ではない」と、わたしを門前払いにすべきである、とさえわたしは思っています。内村が「人はイエスを信じてのみ救われる」ことを真理であると信じているかぎり、当然、そうすべきです。ところが、上記で引用されているような内村の非妥協的態度ゆえに、まさに、わたしは内村を尊敬するのです。したがって、わたしもまた、内村に対して、「人はイエスを信じてのみ救われる」というのは、根拠のない思い込みに過ぎない、と猛然と食ってかかることでしょう。

だから、わたしは、内村に認められるかどうか、わたしの信じている真理の内容とかれの信じている真理の内容が一致するかどうか、などということはまったく気にしていません。わたしは、ただ、クリスチャンでない今も、なぜ、内村の言葉には、他の多くのキリスト者の言葉と違って、わたしをつき動かす力があるのかを考えてみるのです。そして、それは、なによりもまず、自分の信じる真理のためにはたった独りでも屹然と立つかれの態度であろうと思います。それができるのは、すでに指摘しましたが、内村が単なる信仰者としての側面をもつだけでなく、預言者としての側面を持っていたからだ、とわたしは思っています。

法王何者ぞ、監督何者ぞ。しかり、ペテロ何者ぞ、パウロ何者ぞ。彼らは皆罪の人にしてキリストの救いに与かりしまたは与かるべき者にあらずや。彼も人なりわれも人なり、神は彼らによらずして直ちに余輩を救い給うなり。余輩は人として彼らを尊敬す。しかれども彼らはおのが信仰をもって教権を装うて、余輩に臨むべからざるなり。(明治49年)

自由とは人より何の束縛も受けることなくしてわが身を神の自由にゆだねることなり。独立とは人によらずして直ちに神と相対して立つことなり。(大正2年)

「神は彼らによらずして直ちに余輩を救い給うなり」と確信し、「独立とは人によらずして直ちに神と相対して立つ」と語るところに内村の神髄があるとわたしは思います。人が人(パウロやペテロや法皇)を介して神に出会うのではなく、「直ちに神と相対して立つ」ことがなければ、無教会など生まれてくるはずもありません。ここで「神」を「真理」に換えれば、わたしの立場になるのです。

聖書と真理について、内村は次のように述べました。

余輩は必ずしもキリスト教を説かず、余輩が真理と信ずることを説く。余輩は聖書が示すゆえに真理なりと言わず、真理なるが故に真理なりと言う。余輩は聖書を研究す、聖書に盲従せず。余輩は神の愛を信ず、ゆえに僭越を恐れずして余輩の確信を語る。

われは無謬の聖書を信ぜず。(明治42年)

「聖書に書いてあるから真理である」というのが聖書主義だとすると、「聖書が示すゆえに真理なりと言わず、真理なるが故に真理なりと言う」という内村の立場は、あきらかに聖書主義の立場ではありません。わたしは、内村が聖書の間違いを具体的に示したかどうか知りませんが、あきらかに、聖書の間違の可能性は否定していません。はじめから間違いの可能性を否定して聖書に臨むことは、聖書に盲従することだからです。このことは、内村が、聖書の研究者である以前に、まず何よりも真理の探究者であったことを意味しています。ここに、内村の言葉が、わたしのような非クリスチャンの心にも、深い感動をあたえる理由があります。

わたしも、「余輩は神の愛を信ず、ゆえに僭越を恐れずして余輩の確信を語る」内村のように、真理の探究者として聖書に臨みました。しかも、真理でないものは神のものではないのですから、神を恐れる理由もありません。やがて、内村と違って、わたしは、聖書は数多くの誤謬を含んでいる、という結論に達しました。すでに多くの例が示しているごとくです。無教会運動(教会の権威からの自由)から無聖書運動(聖書の権威からの自由)へ!それが、わたしのやっていることと言えるかもしれません。教会を運営する人たちも、聖書を書いた人たちも、おなじ人間です。かれらはかれらの信念を語り、わたしはわたしの信念を語るだけです。

以上が、「わたしは内村鑑三の弟子である」、とわたしが公言する理由です。

ご批判、おまちしています。(山本さんのホームページへのリンクをつけさせていただきました。)