ダビデとサウルの出会いについて佐倉氏は

16章の物語では、竪琴の名人としてダビデを召し抱たとき、確かに、サウルはダビデの父エッサイについて知っていました。しかも、王の傍らで竪琴を弾いたり、王の武器を持つ者として、王のすぐそばで仕えていたのですから、彼の名前や彼の父のことも知らないわけがありません。ところが、17章の物語によると、サウルはゴリアトと戦ったダビデについて何も知りません。彼の父についてばかりか、ダビデの名前さえ知りません。(ダビデは「少年」と呼ばれています。)
といわれていますが、「王の武器を持つ者として、王のすぐそばで仕えていたのですから、彼の名前や彼の父のことも知らないわけがありません。」というところで、だとするとサウルは自分の身辺に仕える全ての者の家族構成から職業にいたるまで全て知っていたのでしょうか、というよりも全てを覚えている事ができるほどの記憶力の持ち主だったのでしょうか?さとすると、サウルが知っていなければならない者として、まず軍の指揮官達(複数)、民政官(複数)身辺の世話をする者(これも小姓のような者から女中まで複数)等これだけでもかなり多数である事が考えられますがこれらの者について全ての情報を記憶していたとは常識的に考えられません。まして、ダビデが召し出された時サウルは悪霊に悩まされ半錯乱状態であったことから通常状態を保つ事など不可能です。そのようなサウルの背景を考えれば、誰々の親は誰々で何をやっているなどとても記憶に残っているとは非常に考えにくい事です。次に
17章の物語によると、サウルはゴリアトと戦ったダビデについて何も知りません。彼の父についてばかりか、ダビデの名前さえ知りません。(ダビデは「少年」と呼ばれています。)
ともありますが、一連の出来事の中でサウルがダビデについて尋ねているのは「ダビデが誰の子なのか」ということです。またサウルはダビデを少年と呼んでいるだけで、名前については一度も尋ねていません。つまりサウルはダビデを「少年」と呼んでいただけとも考えられます。さらに
17章では、ダビデは、イスラエル人の敵ペリシテ人の巨人ゴリアト(あるいは、ゴリアテ)を倒した、英雄的人物として、サウルに出会い、仕えるようになったことになっています。このとき、サウルはダビデについて何も知りません。
ということですが、同17章17〜22においてダビデが父エッサイからの預かり者を持って陣中見舞いに出かけるシーンがありますが、この時エッサイは「チーズを千人隊長に届け」るようにと命じています。千人隊長はイスラエルの軍制においてはトップの指揮官になりますが、兄達の陣中見舞いに来ただけのダビデがいきなり軍の首脳に届け物をするとはちょっと考えられません。普通は兄達の直属の隊長に届けるのが通例でしょう。また、持って来た品物を「武器を守る者に預けた」 という事も「武器を守る者」とは16章でダビデが与えられた「道具持ち」を軍団に適用した役割だと考えられます。とすればこれも陣中見舞いのダビデがいきなり「武器を守る者」に私物を預けられたとは考えられません。こうした事を考える時、少なくともダビデは千人隊長と少なからず面識があり、「武器を守る者」よりも上位の立場にあった事が容易に想像できます。従って、16章の記述とは矛盾しません。そしてゴリアテとの戦い以後、戦場に派遣されている事から「道具持ち」という宮廷での役目から「指揮官」としてサウルの陣営に改めて召し抱えられた事がわかります。さて、佐倉氏は結論の中で
ゴリアトとの戦いの直後「ダビデはあのペリシテ人の首を取ってエルサレムに持ち帰り、その武具は自分の天幕に置いた」(17:54)と記してありますが、この部分は前後との文脈から孤立しているだけでなく、歴史的にあり得ないことです。エルサレムは、サウルの時代にはまだイスラエル人の領地ではなくエブス人の領地だったのです。
といわれていますが、サウル、ダビデのはるか以前にエルサレムはイスラエルによって占領されています。士師記1章8節に
ユダ族はエルサレムを攻めて、これを取り、剣の刃でこれをうち破り、町に火をつけた
また同21節に
ベニヤミン族はエルサレムに住んでいたエブス人を追い払わなかったので、エブス人は今日までベニヤミン族といっしょに住んでいる。
とはっきり記してありますが、これは私の聖書にだけ書いてあるのでしょうか。でなければ、歴史的事実としてイスラエル人とエブス人は共にエルサレムに住んでいた事がはっきりします。にもかかわらず、ダビデは同国人の住む町を避けて天幕をはっていたのでしょうか。もしかしてダビデはイスラエルから村八分にされていたのかも?


結論として

この部分は前後との文脈から孤立しているだけでなく、歴史的にあり得ないことで す。
聖書ははっきりと歴史的にあり得る事を記述していますし、佐倉氏の論説が前後の関わりから孤立していることが判明しました。

この記録(17:54)は時代錯誤なのです。後のダビデの軍隊のイメージとだぶっているのです。
佐倉氏の論説が聖書の判読錯誤であり、自分の聖書に対する否定的な考えとだぶっている事も判明しました。

サムエル記によるダビデ物語は矛盾と混乱を含んでいます。とくに、サウル王とダ ビデの初対面の記録の矛盾は顕著なものです。
佐倉氏の論説が混乱を含んでおり、とくにこの部分での論説の矛盾が顕著な事が判明 しました。

(1)ダビデ紹介文と二つのダビデ登場物語

サウルはイスラエルの最初の王となりましたが、すぐに神(というより、カリスマ的宗教指導者サムエル)の好意を失い、代わりにダビデが王となるというのがサムエル記の物語ですが、今まで活躍していたサウルに代わって主役になるダビデ登場の場面を、サムエル記の作者は、わたしたち読者のために、つぎのようなダビデの紹介文で始めます。

ダビデは、ユダのベツレヘム出身のエフラタ人で、名をエッサイという人の息子であった。エッサイには八人の息子があった。サウルの治世に、彼は人々の間で長老であった。エッサイの年長の息子三人は、サウルに従って戦いに出ていた・・・。ダビデは末の子であった。

(サムエル記上 17:12-14a)

「ああそうですか、わかりました」、とわたしたち読者はこの作者に感謝したいところですが、ここに一つの問題があるのです。わたしたち読者が、第十七章においてこのダビデ紹介文に出会わす前に、第十六章において、わたしたち読者は、すでにダビデに出会っていて、ダビデがベツレヘム出身のエッサイの子であることやその他のことをすでに知っているのです。つまり、ダビデ紹介文が出てくる前に、ダビデはもうとっくに物語に登場しているのです。

このことは、第十七章においてダビデ紹介文を書いてダビデ登場物語を書き始めた人物は、第十六章のダビデ登場物語について何も知らないことを意味しています。また、第十六章のダビデ登場物語を書いた人が、自分がダビデを登場させたあとで、ダビデの紹介文を書くはずもありません。このことから、わたしたちに伝わってきたダビデ物語は、もともとお互いを知らない二人のひとによって独立して書かれたダビデ物語が、のちに、第三者によって(かなり無造作に)一つの物語に編集仕上げられたものであることがわかります。


(2)二つのサウルとダビデの初対面物語

ダビデの登場とは、とりもなおさず、ダビデとサウルとの出会いの物語のことです。

まず、第十七章のサウルとダビデの出会いを見てみますと、羊飼いをしていた少年ダビデは、父の使いで、戦いに出ていた兄たちの安否を訪ねるために食物とみやげ物をもって戦地を訪れます。ところが、ゴリアトという強敵を前にして、なにもできないイスラエルの戦況をみて、ダビデは兄たちの反対を押し切って、ゴリアトに挑戦し、これに奇跡的に勝利します。それを見ていたサウルは、いったいこの少年は誰なのか、と問います。

第十七章の初対面物語
サウルは、ダビデがあのペリシテ人に立ち向かうのを見て、軍の司令官アブネルに聞いた。「アブネル、あの少年は誰の息子か。」「王様、誓って申し上げますが、全く存じません」とアブネルが答えると、サウルは命じた。「あの少年が誰の息子か調べてくれ。」 ダビデがあのペリシテ人を討ち取って戻ってくると、アブネルは彼を連れてサウルの前に出た。サウルは言った。「少年よ、お前は誰の息子か。」「王様のしもべ、ベツレヘムのエッサイの息子です」とダビデは答えた。・・・サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。

(サムエル記上 17:55-18:2)

ここでは、サウルも、軍の司令官アブネルも、ダビデについて何も知りません。だから、「誰の息子か」と身元を確かめた後、サウルは、その日にダビデを召し抱えることを決定します。あきらかに、この第十七章の作者はこれをサウルとダビデの初対面の物語として書いています。だから、これだけをみれば、わたしたち読者は、なるほど、こうしてダビデはサウルに仕えるようになったのか、と思うのですが、問題は、すでに第十六章を知っているわたしたち現代の読者は、ダビデはこのときもうすでにサウルに仕えていることを知っているのです。
第十六章の初対面物語
ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた王はダビデが大層気に入り王の武器を持つ者に取り立てた。サウルはエッサイに言い送った。「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」神の霊がサウルを襲う度に、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。

(サムエル記上 16:21-23)

このように、第十六章で、すでに、ダビデはサウルに「大層気に入」られ、竪琴の奏者としてサウルの「傍ら」におり、また、「王の武器を持つ者」としても、直接サウルに仕える特別の人物として、このとき召し抱えられているのです。また、「サウルは[ダビデの父である]エッサイに言い送った・・・」とあるように、サウルはダビデの身元(エッサイの子であること)をよく知り、親の了解を得ています。

わたしたちが、これら第十六章と第十七章との二つの初対面物語を、別々の独立したものとして読むとき、何の困難も感じません。しかしながら、わたしたちに伝わってきた物語(現在の聖書)のように、これらの物語が、編集統合されてまるで一つの物語であるかのように語られるとき、第十六章でダビデが登場して一仕事した後、第十七章でダビデの紹介文が書かれる物語の不自然さとちょうどおなじような不自然さが、ダビデとサウルの出会いの物語に起こることになります。つまり、ダビデとサウルが二回初対面を経験するという妙なことが起こってしまうのです。


(3)無理な憶測

二つめの初対面物語(第十七章)において、サウルがダビデのことを知らなかったのは、最初の初対面のことを忘れていた、などというのはあきらかに無理な憶測です。第一に、ダビデはサウルに「大層気に入」られて、竪琴の奏者として、また、「王の武器を持つ者」として直接、サウルの「傍らで」仕える身だったからです。また、サウルの頭がおかしくなっていたからだろう、というのも無理な憶測です。ダビデを知らなかったのは、サウルだけでなく、軍の司令官アブネルも「王の武器を持つ者」であるはずのダビデを知らなかったからです。また、ダビデ自身も、サウルにはじめて会うような振る舞いをしています。

第十六章と第十七章とをならべて一つの物語として読むときに起こる(後で出てくる紹介文と二回目の初対面という)不自然さは、わたしたちに伝わってきた物語が、もともと二つの別々の物語であったものが、第三者によって一つの物語に合成されたものであると考えるとき、もっともすっきり説明がつきます。


(4)時代錯誤

ダビデはイスラエルの第二番目の王となり、「七年六ヶ月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した(サムエル記下 5:5)」ことになっています。つまり、最初のうちはヘブロンをその統治の中心地としていたが、のちにエルサレムにその首都を遷したというわけです。ところが、当時、エルサレムにはエブス人が住んでおり、ダビデは、エルサレムを手に入れるためには、まずエブス人を討伐しなければなりませんでした。

王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い、ダビデに言った。「おまえはここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ。」しかしダビデはシオンの要塞を陥れた。

(サムエル記下 5:6-7)

ここで、エブス人が「ダビデが町に入ることはできないと思」っているのは、歴史的にエルサレムが難攻不落の要塞であったことを意味しています。エブス人はダビデに攻撃されるまで、すくなくとも250年間ほどエルサレムの住人であったと考えられていますから、エブス人の自信もうなずけます。

さて、このように、エルサレムがイスラエル人の手に入るのはダビデ軍の攻撃によったのであるから、まだサウルが王であったころ、

ゴリアトとの戦いの直後「ダビデはあのペリシテ人の首を取ってエルサレムに持ち帰り、その武具は自分の天幕に置いた」(17:54)と記してありますが、この部分は前後との文脈から孤立しているだけでなく、歴史的にあり得ないことです。エルサレムは、サウルの時代にはまだイスラエル人の領地ではなくエブス人の領地だったのです。ダビデ自身がイスラエルの王となった後、彼の軍隊の侵略によって初めて、イスラエルのものとなるのです(サムエル記下5章)。つまり、この記録(17:54)は時代錯誤なのです。
と、わたしは主張しました。ところが、それに対して、
サウル、ダビデのはるか以前にエルサレムはイスラエルによって占領されています。士師記1章8節に 「ユダ族はエルサレムを攻めて、これを取り、剣の刃でこれをうち破り、町に火をつけた」 また同21節に「ベニヤミン族はエルサレムに住んでいたエブス人を追い払わなかったので、エブス人は今日までベニヤミン族といっしょに住んでいる。」とはっきり記してあります・・・
という反対ご意見を戴いたわけです。

しかし、士師記1章8節の記述のほうが間違っているのです。なぜなら、エルサレムはかれらに征服されることはなかったからです。そのことは、この士師記を読み進んでいくとわかります。第19章に、あるレビ人の物語が載っています。このレビ人は旅をしていたのですが、「エブスすなわちエルサレム(19:10)」の近くに来たときに、日が暮れてしまいます。そこで、従者が「あのエブス人の町に向かい、そこに泊まることにしたらいかがですか」と言うと、かれは

イスラエルの人々ではないこの異国人の町には入るまい。ギヴァまで進むことにしよう。(士師記 19:12)
と答えています。つまり、エルサレムはイスラエル人の住んでいるところではなかったのです。

また、エルサレムが、ダビデ以前のイスラエル人に征服されたことがなかったであろうことは、すでに指摘したように、ダビデが攻めてきたときのエブス人の自信にも現れています。もしエルサレムがかつてイスラエル人に征服されたことがあるのなら、エブス人たちはイスラエルを怖れ戦慄いたことでしょう。ところが、エブス人たちは、「おまえはここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ」、と自信過剰です。これは、やはり、歴史家が言うように、250年ものあいだエルサレムは一度も征服されたことがなかったことから来る自信なのでしょう。

さらにまた、士師記1章8節に従えば、エルサレムを攻撃して占領したのは「ユダヤ族」であったとしていますが、同21節によれば、エルサレムを攻めたのは「ベンヤミン族」であったことになっており、しかも、エルサレムを占領できなかったので、エルサレムに住んでいるエブス人はそのままにしておいたとしています。これはエルサレムの回りの地域ではベンヤミン族の人々が住んでいたが、自然要塞として丘の上にあるエルサレムだけはエブス人のものとして残された(「いっしょに住んでいる」)ことを示しています。これはエルサレムが昔から難攻不落の要塞(シオン)として認められていた歴史的事実とも一致します。

これらのことから、士師記1章8節の記述のほうが間違っていることがわかります。だから現代聖書学者が士師記1章8節を編集的挿話であると主張するのもうなずけます(Robert Houston Smith, "The First Book of Joshua" & "The First Book of Judges", The Interpreter's One-Volume Commentary on the Bible, pp131-132, pp137-138)。すなわち、サムエル記上17章54節に加えて、士師記1章8節も時代錯誤を犯しているのです。