(これは「10月14日」の続きです)

佐倉氏は結論の中で

自分の妻があまりにも美しいので、妻を奪うために自分が殺されるかもしれないと心配して、妻を妹であると偽る物語が創世記に三回も出てきます。それは、伝承過程において物語の内容が細かい点で異なってゆくという、私たちの日常経験が聖書の場合でも同じであることを示唆していまが、特に、アブラハムの物語の場合、サラの歳を考えれば、全く信頼できない物語に発展しています。
との事ですが、「私たちの日常経験が聖書の場合でも同じである」とはっきりいわれています。ではお尋ねしますが、なぜアブラハムの場合には老夫婦であるという設定にしなければならなかったのでしょう。佐倉氏も指摘されている通り、現代のわれわれから考えれば「全く滑稽な作り話」になっている事を当時の人々、あるいは伝承を受け継ぎ纏めた人々は全く考えなかったのでしょうか。それとも当時の人々はベールかなにかを被って老年になっても女性の顔が見れなかったのでしょうか。(確かにイスラム社会では女性はベールを被って夫以外の男性に素顔を見せない習慣があるようですが)。佐倉氏は「細かい点で異なってゆく」と言われていますが、この出来事に関して年齢問題は決して細かい事ではありません。若いか否かが大きく信憑性を分ける物語だからです。にもかかわらず、アブラハムの場合に老夫婦という設定にあえてしているその理由とは何なのか、どうしてわざわざ「信頼できない物語に発展」させたのかが佐倉氏の結論からは見えてきません。佐倉氏はあまりにも機械的に聖書の文字だけで判断している事が多く、記録した者の思考的検証に対する説明が抜け落ちているように思われます。

なぜ、間違いとすぐわかるようなことを書いているのか、というご質問だと思いますが、「記録した者の思考」など現代のわたしたちにわかるわけがありませんから、こういうことは想像してみるほかありませんが、わたしの想像するところでは、やっぱり、間違いとすぐわからなかったからだと思います。実際わたし自身も、なんども読んでいた物語であるにも関らず、長い間このことにまったく気がつきませんでした。

これはおそらく、アブラハムの物語が順序立てられた「アブラハムの一生」ではなく、アブラハムにまつわるいくつかの伝説が、編集者によって寄せ集められた、いわば「アブラハムにまつわる伝説集」のようなもので、ひとつの伝説と次の伝説との間のつながりが希薄だからでしょう。だから、わたしたちが、「妻を妹と偽る物語(創世記20)」を読むとき、それとは別の物語で述べられていたアブラハムやサラの年齢のことをうっかり忘れてしまうのでしょう。

このことは、創世記が一人の人物(モーセ)によって書かれたのではなく、古代イスラエルのいろいろな伝説伝承が、だれかによって集められ編集されてできたものであることを示唆しています。代表的な現代聖書学の分析によれば、現在わたしたちに伝えられているアブラハム物語は、もともと別々の伝承資料からの合成であると考えられています。以下の表はその分析例の一つ(リチャード・エリオット・フリードマン教授によるもの)です。

J資料 E資料 P資料 R資料
移住 12:1-4a 11:27b-31; 12:4b-5
約束 12:6-9
妻と妹(1) 12:10-20
ロト 13:1-5,7-11a,12b-18 [14:1-24] 13:6,11b-12a
契約 15:1-21 17:1-27
ハガルとイシュマエル 16:1-2,4-14 16:3,15-16
3人の来訪者 18:1-33
ソドムとゴモラ 19:1-28,30-38 19:29
妻と妹(2) 20:1-18
イサク誕生 21:1a,2a,7 21:6 21:1b,2b-5
ハガルとイシュマエル 21:8-21
アビメレク 21:22-34
イサク 22:1-10,16b-19 22:11-16a
親戚 22:20-24
マクペラの洞穴 23:1-20
リベカ 24:1-67 25:20
ケツラの息子たち 25:5-6 25:1-4
25:7-11a
注:Richard Elliott Freidman, Who Wrote the Bible, Harper & Row, pp247-248 より


古代イスラエルのひとびとが西暦前1200年頃パレスチナに定着していたころは、かれらはいくつかの独立した部族のゆるやかな連合組織として存続していました。それぞれの部族はレビ族を除いてそれぞれの土地を持っていました。レビ族は代々祭祀をつかさどる祭司の部族で、土地からの収入からではなく、他の部族の人々が納める税によって生活していました。やがて、ダビデやソロモンによってエルサレムを中心にした強力な統一王国(西暦前997年以降)が築かれることになりますが、ソロモンの死をきっかけに、王国は南北に分裂して(西暦前928年)対立抗争するようなります。北イスラエルの諸部族は、南のユダを中心とする(ソロモンの子レハベアムの)王国から分裂し、独自の王(エジプトに亡命していたヤラベアム1世)を立て、独自の祭司を選び、エルサレムに代わる宗教的中心となる神殿をダンとベテルつくり、政治的にも宗教的にも、北のイスラエル王国と南のユダ王国とが対立する時代が長く続くことになります。この対立は、イスラエル王国が西暦前722年にアッシリアに滅ぼされるまで続きます。(ユダ王国の方は西暦前587年にバビロニアによって滅ぼされます。)そして、この長い対立時代(約200年間)がイスラエルの宗教的伝承の相違のひとつのおおきな原因となったと考えられています。つまり、聖書に同じような物語が少し内容を変えて重複して現れる基本的な理由です。

簡略しますが、南のユダ王国(Judah)に興味の中心をおく伝承が現在「J資料」と呼ばれ、北のエフライム部族(Ephraim)などからなるイスラエル王国に興味の中心をおく伝承が「E資料」と呼ばれてます。「P資料」は Priest すなわち、祭司資料のことで、祭司をつかさどるレビ族の人々の伝承資料とされます。それらはそれぞれ言語様式や神観や歴史観などについて特徴を持っていることから、このような分析が行われています。「R資料」とは、そのどれにも属さない Redactionist すなわち編集者資料で、編集者が挿入したと思われる部分のことを言います。

さて、もし、上記の表のような分析が正しいとすると、わたしが指摘した

「妻を妹と偽る物語」(この表で言えば「妻と妹(2)」)はE資料

アブラハムが笑って「百歳の男 に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか」と言った箇所はP資料

サラが「月のものがとうになくなっていた」とか「もはや[セックスの]楽しみが あるはずもない」と笑った個所はJ資料

というわけで、別々の人が書いたものになりますから、それぞれ書いた人にとってはそれほど「滑稽なもの」という感覚はなかっただろうと考えられます。

アブラハムの物語がとりわけ滑稽なものになったのは、これらの伝承が一つにまとめられ、とくに、「妻を妹と偽る物語」(20章)が、老翁老婆となってセックスの楽しみなどあるはずがないつぶやいた物語(17章18章)よりも後にくっつけられたことによります。編集者はついうっかり、アブラハムやサラの年齢のことをわすれてしまったのかもしれません --- わたしたちが、この物語を読むとき、ついうっかり、そうするように。