応答ありがとうございます。

さて、その中で佐倉さんは、

まず、福音書の成立に関してかなり初歩的な誤解があるように思います。すべて4つの福音書はイエスの時代からかなり隔たった後代の、いわゆる2世3世のクリスチャンによって書かれたものです。福音書を書いた人々はイエスと同時代の人々ではありません。彼らに述べ伝えられてきた事柄(伝承)を編集仕上げたものが福音書です。それはルカ自身が次のように証言しているとおりです。
と言われていますが、福音書の成立年代については私も少なからず、佐倉さんが書かれている事は知っています。ので、誤解をもっているわけでもありません。逆にお聞きしたいのは、成立年代が後代であっても、200年も300年も後代なのではなく、約40〜70年後なのにどうして2世3世の時代になるのでしょうか?だとするとこの時代の人々は40〜50年しか生きれなかったということになります。しかし、ヨハネなどは紀元100年頃までの生存が定説となっていることから、イエスと同時代を生きた人がいなかったというのは間違いです。これこそ初歩的な誤解です。また、ルカは「わたしたちの間で実現した」といっていますが、そうすると自分の知らない時代の出来事を「自分の時代に実現した」と言っている事になり、非常におかしいと思われます。また「最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えた」としていますが、2世3世の時代に書かれたのならば、「昔からの言い伝え」という具合の表現をするはずです。ならば、「目撃し伝えてくれた」人々とはイエスと同時代に生きた人々ではないでしょうか。ですから
イエスの活動したのが28〜30年頃ですから、それから約40〜70年後に書かれたことになります。つまり、最初に言ったように、福音書は2世3世のクリスチャンによって書かれたということになります。
といわれていますが、イエスの最後を見た人が30代であったとしても、70〜100歳の間で福音書が成立しており、イエスと同時代の人々が書けなかったという説は間違いです。さらに、福音書の執筆者に関する定説にも反しています。長くなるので書きませんが、福音書の執筆者はイエスと同時代の人と言われており、ましてマタイやヨハネなどは十二弟子であり、目撃者本人です。このことからもすでに福音書が2世3世のクリスチャンに書かれたのではない事が結論づけられます。また、
福音書には、イエスに関する事実ではなく、各福音書記述者が事実だと思い込んでいたことが書かれている
とも言われていますが、前回のメールでもお尋ねしましたが、なぜ、互いに間違った記述をしている福音書を抹殺しなかったのか?という疑問が残ります。歴史的にみても、権威側に都合の悪い記録というのは抹殺される運命にあるのに、互いに間違っている書を後代のクリスチャンは何故、認め、受け入れたのか?しかも、両方とも自分たちの教典として。初期のクリスチャンは矛盾している書を何の疑問も持たずに受け入れていたのでしょうか?確かに表現としてはルカ書と他の書では食い違いがあるようにも取れますが、他の書では強盗をひとまとめにして記述しており、それぞれの発言は記述されていません。また、ルカは「詳しく調べて」と言っていますが、福音書成立の年代が
マルコの福音書 70年頃
ルカの福音書  80〜95年頃
マタイの福音書 80〜95年頃
ヨハネの福音書 100年頃
とすると既に書かれているマルコの福音書には目も通さず、さらにイエスと同時代の人々からもまったく証言を取らないで自らの書を書いた事になります。しかし、この書がローマの高官であったと言われるテオピロにあてている事からそのようないい加減な事をするはずもなく、やはりルカは様々な事を詳しく記述していると見るのが妥当でしょう。さて次に
このことは、事実を間違いなく書くように福音書記述者を助ける役目の聖霊はいなかったことを意味します。そこで、結局、聖書は聖霊が書いた神秘的な書物ではなく、普通の人間が書いたきわめて人間的な普通の書物だったという結論になります。
とも言われていますが、神は人間に対して御自身にロボットのように服従する事を望まれているわけではなく、人間が持つ感情や知性、知識といった個性を無視されることはありません。福音書の記述においても然りで、それぞれの記述者の個性を用いられています。その事は例えばマタイが金銭に関する記述を多数している事からもわかります。確かに聖霊が直接筆記用具を持って書いたのではないという事においては聖霊が書いたものではないと言えるかもしれません。また、記述者の肩をもんだりマッサージしたり、食事を用意したりという事も無かったでしょう。そういう意味では聖霊の助けはおそらく無かったでしょう。しかし聖霊の働きというのは、神の意志を人間に伝達し、神の意志がそのまま実行されるために人間を助ける事をいいます。つまり、聖書の記述においては神が聖書を通して伝えたい事を記述者に伝える働きを聖霊がしているのです。確かに普通の人間が書いた事には違いありませんが「人間的な物語」であったなら、「心で思った事」にまで善悪の判断がされているという考え方はしていないでしょう。なぜなら、人間は目で見た善悪しか判断できないからです。この事は現代においても様々な事柄からもわかります。聖書は究極の善悪基準を示しています。神の働きがなければいったいどこのどんな聖人君子がこんな思想を考え出す事ができたのでしょうか。

(1)聖霊の働きがなかったことの証明

聖書における聖霊の働きの問題はつぎのようにまとめることができます。このうち、仮定2は上記で主張されているものです。

仮定1 神は真理しか語らず、絶対に間違うことがない。(神の定義により)
仮定2 聖書の記述においては神が聖書を通して伝えたい事を記述者に伝える働きを聖霊がしている。
結論  聖書には間違いがなく、すべて真理である。(仮定1と仮定2より)
事実  ところが、聖書には間違いがある。
仮定1と仮定2の両方が正しいとすれば、「聖書には間違いがなく、すべて真理である」という結論が必然的に導出されます。ところが、実際には、すでに多くの例が示すように、聖書には間違いがあります。そこで、仮定1と仮定2のうち少なくとも一つは間違っていることになります。(もちろん、両方とも間違っている可能性もあります。)

ところが、仮定1「神は真理しか語らず、絶対に間違うことがない」というのは、神の定義として一般に認められているものです。そこで、もしこの定義が正しいとすると、仮定2の方が間違っているという結論になります。つまり、聖霊は、事実を間違いなく書くように福音書記述者を助けるような仕方では働かなかった、ということです。つまり、聖霊はまったく存在しなかったか、あるいは、たとえ存在しても、事実を間違いなく書くように福音書記述者を助けるような仕方で働く、そのような聖霊はいなかった、ということになります。

繰り返しますと、「神は真理しか語らず、絶対に間違うことがない」という神の定義と、聖書には間違いがあるという事実、この二つのことから、おっしゃられるような「聖書の記述においては神が聖書を通して伝えたい事を記述者に伝える働きを聖霊がしている」という主張が間違っていることが証明されるのです。


(2)福音書の成立について

福音書の記者たちが、イエスと同時代であったと考えるのは、保守派のクリスチャンの中でさえ、きわめて少数派であろうと思いますが、実は、彼らが同時代であったかどうかは大切な問題ではありません。福音書を書いた本人たちはおそらくそれぞれまじめに事実だと思って書いたのでしょう。しかし、彼らが、どんなにまじめに、どんなに正直に、事実を報告しようと意図していたとしても、それぞれの書いたことが相互に矛盾しているために、彼らの報告が少なくとも一部事実でないことは決定的なわけです。事実は一つしかないからです。そして、現代の聖書学者が主張するように、彼らが伝えていることの目撃者ではなく、彼らに伝えられた資料やうわさを集めて書いたのだとすれば、彼らの書いたものに見られる多くの矛盾や間違いがより自然に説明できるわけです。実際、もし彼らが直接の目撃者だとすると、福音書がどうしてこんなに矛盾だらけなのかうまく説明できません。

福音書の成立についは、まだ、初歩的な誤解をしておられるようです。「ルカによる福音書」がルカ(パウロ書簡にでてくる医者ルカ)によって書かれたという根拠はありません。2世記の教父(たち)がそうだろうと思ったので、それ以後「ルカによる福音書」呼ばれるようになっただけです。同様に「マタイによる福音書」がマタイという人物によって書かれたという根拠も、「マルコによる福音書」がマルコという人物によって書かれたという根拠もありません。また「ヨハネによる福音書」はヨハネ自身によるものではなく、ヨハネのことを「イエスの愛してこられた弟子」(20:2, 21:20)と尊敬をもって呼んだヨハネの弟子(たち)によって書かれたものです。福音書はすべて匿名の書物であって、今与えられている名前はすべて、後代につけられたもので、わたしたちはその伝承にしたがって、「ルカによる福音書」などと呼んでいるに過ぎません。

さらに、当然のことですが、パウロの書簡や福音書などが書かれたときは、聖書として書かれたわけではなく、新約の著者たち本人にとって『聖書』とは、ユダヤ教の経典(いわゆる「旧約聖書」と後に呼ばれるようになったもの)だけであって、後代の人々によって、パウロの書簡や福音書などが「一つの聖書」として固定化されるには数世紀を必要としました。(「聖書とは」参照)

これらの新約文書は、初めのうちは、ただ、お互いの信仰を励ましたり、自分たちの信じているドグマを主張するために回覧されていたのにすぎません。しかも、当時、キリスト教はひとつではなく、異なった主張をし、異なったドグマを信じるさまざまなキリスト教が、独立してあちこちに散在していたのです。だから、マタイやルカの著者は、すでにあったマルコの福音書を下敷きにして書いたものですが、自分たちの所属する教会の教えに従ってマルコの間違いを訂正し、マルコにはない、別の伝承(「Q」とよばれるイエス語録やその他)を新しく加えてできたものというだけで、他の福音書を抹殺しようと画策するキリスト教の統一組織は、まだ出来ていません。(パウロなどは一生けんめい異端 -- 自分の意見と違う者 -- を追っ払おうと努力していますが・・・。)

「なぜ、互いに間違った記述をしている福音書を抹殺しなかったのか?」という問いが大きな問題になるのは、ローマのキリスト教が他のキリスト教グループをまとめあげて支配し始めるときからです。有名なのは西暦130年ごろからマルキオンの教会で使われていた聖書です。それは、福音書とパウロの書簡がひとつの聖典としてまとめられ、正式に礼拝に使用された、おそらくキリスト教の最初の聖書なのですが、ローマの教会を中心とした勢力はマルキオンの教会を異端として排斥したために、マルキオンの福音書は歴史から抹殺されることとなりました。(実際、パウロの書簡や福音書などがまとめられて「聖書」として確立されていったきっかけは、マルキオンの教会に対抗するためであった、とも言われています。)

それ以外にも「トマスの福音書」、「フィレモンの手紙」、「ヘルマスの牧者」、「ペテロの黙示禄」、「クレメントのコリント人への手紙」、「バルナバスの手紙」、「ペテロの説教」、「使徒たちの教え」、「パウロの活動」などはことごとくキリスト教の表舞台から抹殺され、今日のキリスト教信者の多くはその存在さえも知らされていません。今日まで伝えられている新約聖書の薄っぺらさは、自分たちと意見を異にする者たちを受け入れることの出来なかった者たちの偏狭さを示しています。

さて、こうして、いったん、新約の諸文書が固定化して、ひとつの聖書としてその権威を確立し、それがひろく知られるようになると、権威として確立されたものは、間違っているとわかっても、もう手直しが出来ません。手直しをするということはその権威を否定することだからです。そのために、福音書その他の新約文書のたくさんの矛盾や間違いが今日まで残されることになったわけです。キリスト教が、真理を知るための努力よりも(聖書や教会の)権威に従わせることをその信者に求めたからです。自業自得です。