数年前にブレイクしたエマニエル坊や。あれから10数年経過してさぞかし立派に大人に・・・と思ったら、あの時とほとんど変わらず、身長もそのまま顔かたちもそのままという。この間テレビでやってました。ナイスバディの美形のブロンド娘、さぞかしいい年頃とおもいきやなんと中学生だった。なんて事は特に日本人からみれば日常茶飯事ではないでしょうか。歳をとったら外見も衰え、容姿も崩れるというのはただの思いこみで現実にはそうでない場合も数多い。特に現代と古代とでは地球環境も天と地ほどの差があり、太陽光線の加減、大気温度、食環境等もまるで違っています。年齢だけをとって判断するのなら某ダンサーは某歌手とは結婚しなかったでしょう。全ての人が歳相応に見えるなら、年齢詐称事件や未成年の風俗就業は大幅に減少するでしょう。人間の外見なんてやり方しだいでいくらでもごまかせる事を思えば、ここの結論はあまりにも浅はかに思われますが・・・。

確かに、「歳をとったら外見も衰え、容姿も崩れるというのはただの思いこみで現実にはそうでない場合も数多い」のは本当です。しかし、このばあいは、

(1)50歳でも60歳でも70歳でも80歳でもなく、90歳という高齢の老婆であった。
(2)当の本人たち自身(100歳と90歳の老夫婦)が「月のものがとうになくなっていた」とか「もはや[セックスの]楽しみがあるはずもなし」とつぶやいていた頃のことであった。
だから、この物語は可笑しいのです。「現代と古代とでは地球環境も天と地ほどの差があり、太陽光線の加減、大気温度、食環境等もまるで違っています」などというあてずっぽうの言い訳で繕うことのできる矛盾ではありません。ましてや、「人間の外見なんてやり方しだいでいくらでもごまかせる」などというのは言い訳にもなりません。アブラムは妻サラが「あまりにも美しい」ので盗られることを恐れていたのですから、わざわざ、より若く見せるようにその外見を誤魔化そうとするわけがないからです。

妻を妹と偽る物語は、本文で指摘しているように、3つのヴァージョンがあります。おそらく、もともと、アブラムとサラの物語ではなく、アブラハムの息子イサクとそのつまリベカの物語(第三番目のヴァージョン)であったのが、口承伝承の途中で混同が起きてしまった、と解釈するのが一番適切だと思います。