聖書の間違い

復活(3)

--- 女の報告と弟子たちの反応 ---

佐倉 哲


福音書の幾つかの記録に依れば、イエスの墓を見たマグダラのマリアは、そのことをイエスの弟子たちに報告します。しかし、マリアの報告の内容、およびその弟子たちの反応に関する福音書の記録はいちじるしい矛盾を示しています。



マタイによる福音書

マタイの福音書の記録をみると、マグダラのマリアともう一人のマリアは、墓が空であったことを見ただけでなく、弟子たちに報告に行く途中で復活したイエス自身に出会います(「イエスの墓を見た女」)。その復活したイエスは、弟子たちがガリラヤでイエスに会えることを伝えよ、と彼女たちに対して命じます。それは、彼女たちが墓を見に行ったとき、墓の入り口を塞いでいた石をわきへ転がし、その上に座った一人の天使が、彼女たちに託した言葉と同じ内容のものでした。

マタイの福音書28:5-17
天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。あなたがたは十字架につけられたイエスを探しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体のあった場所を見なさい。それから、急いで行って、弟子たちにこう告げなさい。『あの方は、死者の中から復活された。そして、あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』確かに、あなた方に伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた、「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤヘ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる…。」さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた
このマタイの記録には、マリアが弟子たちに報告する場面はありませんが、弟子たちはすぐガリラヤに行き、山の上でイエスに出会うので、マリアの報告を聞いて、弟子たちはそれにしたがったことが含意されています。


マルコによる福音書(古い写本)

既に「イエスの墓を見た女」で見たように、マルコの福音書の最も古い写本(シナイ写本やバチカン写本1209号)、つまり最も信頼されている写本、に従えば、マタイの記録とは異なって、女たちは「大いに喜び」、急いで弟子たちに報告に行ったのではなく、恐ろしくて、「だれにも何も言わなかった」と記録していました。

マルコによる福音書(古い写本の最終部分) 16:1-8
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日、朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げてみると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。ご覧なさい。納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペテロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
ところが、後のクリスチャンは、マルコの福音書にイエス顕現の物語がないので、復活物語の加筆作業を行いました。(「なぜマルコ伝の最終章が信頼できないか」参照。)その加筆の一つである「長い結び」に、イエスがマグダラのマリアに顕現したこと、そして彼女がそれを弟子たちに報告したことが記されています。しかし、マタイの記録と異なって、イエスの弟子たちは、マリアの報告を聞いても、それを信じません。また、その後、弟子たちのうちの二人が復活したイエスに出会ったことを報告しますが、それも彼らは信じません。それで、イエス自身が、彼らが食事をしている最中にに現れて、「復活したイエスを見た人々を、信じなかった」として、弟子たちの不信仰をとがめる、という物語の展開になっています。
マルコの福音書(長い結び)16:9-19
イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された…。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても信じなかった。その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活したイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
マタイの記録では、ガリラヤで弟子たちに会う、という伝言を、墓の外で出会った天使からだけでなく、墓から帰る途中に女たちの前に現れたイエス自身からも与えられます。そして、その伝言に従って弟子たちはガリラヤに行き、山の上でイエスに会います。マルコの古い写本では、ガリラヤに行けという、同じ様な伝言が墓の中にいた「若者」が、与えたことになっていました。ところが、加筆された「長い結び」によれば、彼女たちは「イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たこと」しか報告しません。ここで、加筆の作者は、墓の中の「若者」のメッセージ、つまり、ガリラヤでイエスに会うことが出来るという伝言、を完全に忘れています。それで、物語の流れは、マリアや、マリアの他にイエスに会ったという二人の弟子たちの言葉を、残りの弟子たちがまったく信じないので、(ガリラヤの山の上ではなく)食事をしている最中に、イエスが突然現れて、その不信仰を咎めるという展開になっているのです。

マタイの記録は、おそらく、マルコの古い写本にあるような初期のマルコ伝にしたがって、イエスの弟子たちへの顕現が、イエスの生前の宗教活動の中心地であったガリラヤで起こる、という物語に展開させたのでしょう。マルコの福音書に「長い結び」を加筆した(4世紀以後の)作者は、マルコのガリラヤ中心主義の思想を理解せず、むしろ、イエスの弟子たちへの顕現はエルサレムで起こるという、ルカの思想の影響をうけて、ガリラヤ行きの話しは忘れて、イエスが(まだエルサレムにいる)弟子たちの食事中に現れるという、前後のつじつまの合わない加筆をおこなったのです。

このように、マルコ福音書の「長い結び」の記録は、マタイの記すところとはかなり異なった物語になっているだけでなく、それが完結させようとしたマルコの福音書のガリラヤ中心主義の思想にも反するものになってしまっています。


ルカによる福音書

さて、マルコへの加筆「長い結び」の作者が影響を受けたと思われる、ルカの福音書を見ると、それが、マタイや初期のマルコ伝と根本的に異なっていることが分かります。つまり、ルカの記録では、(1)イエスはマリアに顕現せず、(2)マリヤの伝言の内容であったはずの、イエスがガリラヤでその弟子たちと出会うことになる、というテーマがルカの福音書では完全に脱落し、マタイやマルコの記録にはまったく見られなかった、(3)弟子の一人ペテロが空の墓を確かめるために墓を見に行く、という新物語の展開がなされます。そして、(4)イエスの復活も顕現も昇天も、また昇天後の弟子たちの行動も、すべてエルサレム中心になされるのです。

ルカの福音書 24:1-53
婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見あたらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、ふたりは言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ。まだ、ガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人と他の人皆に一部始終を知らせた。それはマグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちはこの話しがたわごとのように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペテロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中を覗くと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。ちょうどこの日、二人の弟子が、六十スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じあっていると、イエス御自身が近づいてきて、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった…。イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心の鈍く預言者たちの言ったこと全てを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先に行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるために家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった…。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和がありますように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を良く見なさい。まさしくわたしだ。さわってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった…。イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。(注:ベタニアというのはエルサレム郊外の小さな村 -- 佐倉)
二つの著作(ルカの福音書、使徒行伝)に明瞭に見られるルカの救済史観は、ガリラヤで始まったイエスの運動は、ガリラヤに戻るのではなく、ガリラヤからエルサレムへ、エルサレムからローマへ、そしてローマから世界へと発展して行くキリスト教拡大史観です。このような特殊な歴史観に基づいて書かれたので、ルカの記録が、マタイやマルコの記録に対して、かなり矛盾する記録を残すようになったと考えられます。この観点から見れば、マリアがイエスに出会ったことを、なぜ、ルカは記録しなかったかが、理解できます。ガリラヤに行け、というメッセージはルカにとって非常にまずいものだからです。


ヨハネによる福音書

次に、ヨハネの福音書ですが、これもさらに混乱を加えるものとなっています。先ず、マグダラのマリアの報告を聞いて、ペテロは墓を見に行きますが、ルカの記録と違って、ペテロ一人で行ったのではなく、もう一人の弟子ヨハネが一緒に行きます。また、ルカの記録の場合はペテロは墓の外から中を覗いただけですが、ここでは、彼もヨハネも墓の中まで入ります。おそらく、何かの誤りでテキストの一部の前後が入れ替わったのだと思われますが、イエスのマリアへの顕現は、墓から帰る途中ではなく、マリアの報告を聞いたペテロとヨハネが墓を見た後に起きます。それで、ヨハネの記録では、マリアは二度も弟子たちに報告することになります。つまり、一度目は墓が空になっていたこと、二度目はイエスに出会ったことです。マタイの記録では、マリアにゆだねられたイエスのメッセージを聞いて、弟子たちはガリラヤに行きますが、ヨハネの記録では、ルカの記録と同じように、弟子たちはガリラヤに行く様子はありません。それどころか、ヨハネによれば、弟子たちは「ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」のです!

ヨハネによる福音書 20:1-20
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちにマグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペテロのところへ、またイエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置いてあるのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペテロともう一人の弟子は、外に出て墓に行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中に入らなかった。続いて、シモン・ペテロも着いた。彼は中に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じところには置いてなく、離れたところに丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、何故泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、何故泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、何処に置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」と言う意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのは止しなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
ここでも、ルカの記録においてみたように、ガリラヤ行きのテーマは完全に脱落しています。ルカの場合は、イエスがマリアに顕現したという物語そのものを、彼の記録から抹殺しましたが、ヨハネは、イエスがマリアに託したメッセージの内容を完全に作り替えます。ヨハネによれば、イエスはマリアに、「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」と伝えなさい、と言うのです。これはマタイやマルコの記録と全然違います。しかし、これで、弟子たちが家の中に入って鍵を締めて、どこにも行く気配がないのは、うなずけるのですが、ルカの記録によれば、弟子たちは、「大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」のですから、ヨハネの記録が、弟子たちは「ユダヤ人を恐れて」、家に閉じこもっていた、と言うとき、エルサレムにおける弟子たちの状況理解において、ルカとヨハネの間に矛盾があることがわかります。


まとめ

以上見てきたように、マグダラのマリアの報告やそれに対する弟子たちの反応と行動に関して、福音書は一致した回答を与えてくれません。果たしてマグダラのマリアにイエスは現れたのかどうか、もし現れたのなら、何処で現れたのか、何時現れたのか、何をメッセージとして与えたか、マリアは恐ろしくて誰にも言わなかったのか、それとも喜んで報告に帰ったのか、彼女の報告に、弟子たちはどのように反応したのか、墓に戻って確かめたのか、誰が墓に戻ったのか、墓の中に入ったのか、ガリラヤにみんなで行ったのか、エルサレムに残ったのか、家の中に隠れていたのか、公然と神殿で神をほめたたえていたのか。これらのことについて、福音書は一致した回答をあたえてくれません。