聖書の間違い

列王記と歴代誌の矛盾

--- 歴史的記述の矛盾 ---

佐倉 哲


列王記(上・下)と歴代誌下はともに歴史書ですが、それらの間にはたくさんの矛盾が見られます。



ソロモンの厩舎(うまや)

列王記上の記録によれば、ソロモンは厩舎(うまや)を「四万」所有していたとしていますが、歴代誌の記録では、「騎兵一万二千」という数字に比べて「厩舎四万」は多すぎるとでも思ったのでしょうか、「厩舎四千」に変えています。そのために、列王記と歴代誌の間に矛盾が生じています。日本聖書協会の改訂版(1955年版)の訳者は、列王記自体を「うまや四千」と変えてしまっています。(なおマソラ写本では、列王記4章は20節で終わり、5章1節は他の写本の4章21節に相当します。そのために、マソラ写本にしたがう新共同訳ではその5章6節が他の写本の4章26節に相当します。)

列王記上 4:26(マソラ写本 5:6)
ソロモンは戦車用の馬の厩舎四万と騎兵一万二千を持っていた。(新共同訳 5:6)

ソロモンはまた戦車の馬の、うまや四千と、騎兵一万二千を持っていた。(改訂版 4:26)

歴代誌下 9:25
ソロモンは馬と戦車のための厩舎四千、騎兵一万二千を有した。


神殿建築の工事責任の監督

列王記上の記録によれば、ソロモンは神殿建築の工事責任の監督は「三千三百人」であったとしていますが、歴代誌の記録では、「三千六百人」となっています。そのために、列王記と歴代誌の間に矛盾が生じています。

列王記上 5:16(マソラ写本 5:30)
そのほか、ソロモンには工事の責任を取る監督が三千三百人いて、工事に携わる民を指揮した。(新共同訳 5:30)

歴代誌下 2:17
そのうち七万人を荷役の労働者、八万人を山で石を切り出す労働者、三千六百人を民を働かせるための監督とした。


鋳物の「海」の容量

列王記上の記録によれば、ソロモンは神殿の備品として鋳物の「海」をつくらせますが、その容量は「二千バト」であったとしています。しかし、歴代誌の記録では、その容量は少なくとも「三千バト」であったとなっています。そのために、列王記と歴代誌の間に矛盾が生じています。

列王記上 7:26
「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花をかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は二千バトもあった。

歴代誌下 4:5
「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花をかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は優に三千バトもあった。


町々の建設

列王記上の記録によれば、ソロモンは神殿と宮殿をたてた後、様々な町を建設しますが、その工事に携わった監督の数は「五百五十名」であったとしています。しかし、歴代誌の記録では、「二百五十名」となっています。そのために、列王記と歴代誌の間に矛盾が生じています。

列王記上 9:23
ソロモンの工事に配置された監督は五百五十名で、工事に従事する人々の指揮をとった。

歴代誌下 8:10
ソロモン王の配置した監督は二百五十名で、人々の指揮をとった。


アハズヤがユダの王となったときの歳

列王記下の記録によれば、アハズヤがユダの王となったのは「二十二歳」の時であったとしていますが、歴代誌の記録では、「四十二歳」のときであったとなっています。そのために、列王記と歴代誌の間に矛盾が生じています。

列王記下 8:26
アハズヤは二十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった…。

歴代誌下 22:2
アハズヤは四十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった…。


ヨヤキンがユダの王となったときの歳

列王記下の記録によれば、ヨヤキンがユダの王となったのは「十八歳」の時であったとしていますが、歴代誌の記録では、「八歳」のときであったとなっています。そのために、列王記と歴代誌の間に矛盾が生じています。

列王記下 24:8
ヨヤキンは十八歳で王となり、三ヶ月間エルサレムで王位にあった…。

歴代誌下 36:9
ヨヤキンは八歳で王となり、三ヶ月と十日間エルサレムで王位にあった…。


ヨシャファトの船団

列王記上と歴代誌は、ともに、ユダ王ヨシャファトの船造りとその船団の難破のことに関する記録がありますが、二つの記述の間には矛盾があります。

列王記上 22:49-50
ヨシャファトはタルシシュの船を数艘造り、金を求めてオフィルに行こうとしたが、船団はエツヨン・ゲベルで難破し、行くことが出来なかった。そのとき、アハブの子アハズヤがヨシャフトに、「わたしの家臣たちとともに船に乗り込ませればよい」と言ったが、ヨシャフトはそれを望まなかった。

歴代誌下 20:35-37
ユダの王ヨシャフトはイスラエルの王アハズヤと協定を結んだ。この王は悪を行った。彼らはタルシシュ行きの船団を造るために協定を結び、エツヨン・ゲベルで船団を造った。そのとき、マレシャ出身のドダワフの子エリエゼルがヨシャファトに向かってこう予言した。「アハズヤと協定を結んだため、主はあなたの事業を打ち壊される。」こうして船は難破し、タルシシュに行くことは妨げられた。

列王記上の記録によれば、ユダの王ヨシャファトは、(1)オフィルに行くために船を造りますが、(2)船団はエツヨン・ゲベルで難破します。(3)そのとき、イスラエルの王アハズヤがこれを共同事業にしようと誘いますが、(4)ヨシャファトはこれを拒否します。

歴代誌下の記録によれば、ユダの王ヨシャファトは、(1)まず、イスラエルの王アハズヤと協定を結んで、(2)タルシシュ行きの船をエツヨン・ゲベルで造りますが、(3)悪の王アハズヤと協定を結んだことが理由となって神に罰せられ、その結果、船団は途中で難破します。

このように、ヨシャファトの船団のことに関して、列王記上と歴代誌は矛盾した記録を残しています。


結論

以上の例に挙げたように、「列王記(上・下)」と「歴代誌下」の記述には、たくさんの矛盾が見られます。