佐倉哲エッセイ集

十字架のあがないと日本人

佐倉 哲


本論は、なぜ、キリスト教の十字架のあがないの思想が、日本人にとって分かりにくいかを考察したものです。

1997年9月4日



「十字架のあがない」と「古代イスラエルの生け贄の儀式」

自然災害などを、神々の怒りとして受けとめていた古代人が、神々の怒りをなだめるため、あるいはその好意をえるために、家畜や人間の生け贄を神々にささげたという事実は、さまざまな古代文明のなかにありますが、旧約聖書を読めばわかるように、古代イスラエル人は羊や牛などを、神の怒りをなだめるための生け贄として捧げていました。

イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げものを主(ヤーヴェ)にささげるときは、牛、または羊をささげなさい……。祭司はその全部を祭壇で燃やして煙にする。これが焼き尽くす献げものであり、燃やして主(ヤーヴェ)にささげるなだめの香りである。(レビ記1:2-9)

イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。これは誤って主(ヤーヴェ)の戒めに違反し、禁じられていることをしてそれを一つでも破ったときの規定である……。会衆は若い雄牛を贖罪の献げものとしてささげ…、共同体の長老たちはの主(ヤーヴェ)御前に立って牛の頭に手を置き、主(ヤーヴェ)御前でその牛を屠る。油注がれた祭司は牛の血を取って、臨在の幕屋にたずさえて入り、指を血に浸し、垂れ幕の前で主の御前に七たび血をふりまく。次に、血を臨在の幕屋の中の主の御前にある祭壇の四隅の角に塗り、残りの血は全部、臨在の幕屋の入り口にある焼き尽くす献げものの祭壇の基にながす。脂肪はすべて切り取って、祭壇で燃やして煙にする…。祭司がこうして罪をあがなう儀式を行うと、彼らの罪は赦される。(レビ記1:4:2-20)

十字架のあがないの考え方もこの伝統をそのまま継承したものです。
キリストは…雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって…あがないを成し遂げられた。(ヘブライ人への手紙9:12)

(キリストは)御自身をいけにえとして捧げて罪を取り去るために、現れてくださいました。(ヘブライ人への手紙9:26)

遠藤周作氏は、キリスト教が日本人になじまない理由の一つとして、日本においては動物を生け贄として神に捧げる伝統がないこと、また、そのイメージが「日本人にはあまりになまなましく、烈しすぎる」と指摘されています。たしかに、遠藤氏の着眼されたことは正しいのですが、日本人が生け贄の思想を理解するには、生け贄思想の構造そのものを把握しなければならないと思われます。


生け贄思想の構造

生け贄思想とは、要するに、圧倒的な強者の権力の下にある弱小集団が生き延びるために、古代人が生み出した生存のための智恵であると考えられます。つまり、弱小集団は自分たちが全滅されるのを防ぐために、自分たちの中から何らかの犠牲(若い女性や財産)を積極的に支配者にささげることによって、その返礼として全体が生き残ることをゆるしてもらう弱者集団生存のための論理、それが生け贄の思想なのです。したがって、生け贄の思想は身代わりの思想です。だから生け贄はその集団の他の人にとっては救いになるわけです。また、強者にとっても、その集団全体を滅ぼして得る一時的な大利益よりは、何もしないで、定期的に得る小利益のほうが、長期的には得策であると考えられるので、生け贄の論理が、強者と弱者とのあいだの共通の利益として成立するわけです。

この強者と弱者との関係は、部族内にも、部族間にも存在しますが、それを、神と人間との関係にそのまま持ち込んだが、宗教的な生け贄の儀式です。つまり、圧倒的な自然や運命の力に翻弄される古代人たちが、自分たちの大切なものを犠牲にささげることによって、部族全体の存続や繁栄をゆるしてもらおう、と考えておこなう儀式が、宗教的な生け贄なのです。古代イスラエル人の生け贄の伝統(旧約聖書)は、まさに、そういうものです。そして、イエスの十字架のあがないの思想(新約聖書)も、また、その伝統を受け継いだものなのです。つまり、生け贄思想の背後には、「絶対的権力者・支配者・王としての神」の存在が前提されているのです。そのような神観念がなければ、生け贄の思想は論理的に成立しません。


生け贄思想と日本人

生け贄の思想は、圧倒的に強力な王朝の存在と、それに翻弄される弱小民族と、絶対王をモデルとして発達した神観念の存在なくしては、決して成立することのない思想であると思われます。そして古代イスラエル民族こそ、人類史のなかで、もっとも初期の絶対王朝を確立した、二つの文明、すなわち古代エジプト文明とメソポタミア文明に挟まれて、強力な古代エジプト王国やアッシリア王国やバビロニア王国に、翻弄され続けてきた民族だったのです。それゆえに、絶対的権力者・支配者・王としての神を祭る三大宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、のすべてがここで生まれたのは、決して偶然ではありません。

日本人にとって生け贄の思想が理解しにくい理由は、生け贄儀式の「なまなましすぎるイメージ」という皮相的なところにあるのではなく、その背後にある、神観念の異質さにあると思われます。古代イスラエルが近隣王国の支配に翻弄されたり、南北王朝に分かれて争ったりしているころ、日本列島の古代人は、一万年近くも続いた縄文時代において、驚くべき長期の平和共存の時代を過ごしていました。日本列島の古代人は絶対王朝による支配というようなことを長い間知りませんでした。おそらく、そのために、日本人は伝統的に神を「絶対的権力者・支配者・王」として理解することがなく、どんな神も仏も平和共存させてしまいます。それゆえ、日本の神話では、たとえば、スサノオが退治する「やまたのおろち」のように、生け贄を要求するような一方的な強者は、むしろ、「悪者」として見なされるのが通例で、日本人の正義感は、まさに、生け贄を要求するような強者を退治して弱者を助けるさまざまな物語によって育てられてきたのです。したがって、ユダヤ教やキリスト教のように、絶対的強者(王なる神)に生け贄をささげる行為を宗教的に美化することが、日本の伝統になかったのは当然と言えるでしょう。このように日本人の神観念や正義感の伝統には、生け贄を正当化する要素がないため、日本人にとってキリストの十字架のあがないの思想は分かりにくく、また、受け入れがたいものになっていると思われます。


神としてのキリスト

ところで、キリストを神とする考え方が、キリスト教の発生してから数百年後にでてきますが、これは、もちろん、論理的に生け贄思想と相容れないものです。生け贄はあくまでも弱者が強者にささげて助けを乞うものであって、強者が生け贄を自分自身にささげることはありえません。もし、はじめから、イエスを神であるとする信仰があったなら、イエスを生け贄とする十字架のあがないの思想は決して生まれてはいなかったでしょう。イエスを神とする信仰が可能となったのは、キリスト教がエルサレムから遠くはなれ、ローマにその中心を置くようになって、キリスト教のルーツとしてのユダヤ教の伝統が薄れてしまったことにあります。

しかし、それでも、イエスを神としてしまっては、生け贄思想が成立しないことは、あまりにも明白なために、イエスは同時に人間である、という思想も生まれました。イエスは神であるが、人間の罪のあがないのために、人間として十字架にかかった、というわけです。こうして、イエスは神人混合体にされてしまいます。そして、「キリストは完全に神であり、完全に人間である」という、本来の聖書(旧約聖書)から完全に逸脱した、誰も理解できない教義がキリスト教の正統となり、キリスト論は知的袋小路にはいってしまいます。すなわち、伝統的キリスト教に従えば、「神のミステリー」という言葉でしか十字架のあがないは「説明」できなくなってしまったのです。そして、このことは、日本人にとって、十字架のあがないを理解することが、二重に困難になっていることを意味します。


まとめ

日本人にとって、十字架のあがないが理解できにくいのは、それが、「神の怒りをなだめるための生けにえ」という、日本人にとってはきわめて異質な古代イスラエルの宗教的伝統に基づいたものだからです。十字架のあがないの思想の背後には、生け贄の血を見なければ人類を赦すことのできない神の姿があります。このことは、「キリストは神である」というもう一つの教義によって、紛らわしくなってはいますが、生け贄の論理が成立するためには、どうしてもそのような絶対的支配者・王としての神の存在を前提にしなければなりません。ところが日本では、神々や仏を相対化して平和共存させて、唯一の絶対的支配者としての神の思想が育つことはありませんでした。しかも、生けにえを要求するような一方的な強者は「悪者」と見なして、それを退治することを弱者をたすける正義と考え、生け贄行為が美化されることはなかったのです。支配よりも平和共存(和)を理想とする日本人の数千年にわたる長い伝統が、十字架のあがないの思想におおきな違和感を抱かせるのだと思われます。