聖書の間違い

ノアの箱舟に入った動物の数の矛盾

佐倉 哲


ノアの大洪水物語の中で箱舟に入って助かった動物の数は、それぞれの種類ごとに雄雌各一匹の一組づつであった、というのが一般の常識です。たとえば、子供用のキリスト教の絵本にはゾウやトラや馬などが仲良く二匹づつ箱舟に入っています。しかし、実際の聖書の物語はもう少し複雑です。物語のある部分では、確かにすべての動物は種類ごとに雄雌各一匹の二匹ずつが箱舟に入るのですが、他の部分では、動物は種類によって方舟に入る数が違うのです。例えば、ある種の動物は七つがいずつ、つまり十四匹づつ入るのです。



二つの大洪水物語が一致しない

創世記がたくさんの重複した物語を持っていることは、すでに指摘しました。その代表の一つが一章と二章の二つの天地創造物語でしたが、ノアの大洪水物語もやはり典型的な重複物語です。ただ、天地創造物語と違って、洪水物語では、二つの伝承が、カット・アンド・ペーストの作法で、たくみに組み合わされ、一つの物語にまとめられています。

この二つの伝承は、天地創造物語の場合と同じく、祭司資料(P資料)とヤーウェイスト資料(J資料)ですが、以下の引用では、J資料の部分を赤文字で表します。これは現代聖書学が、言葉使いや内容の違いから、分析を行った結果なのですが、それぞれが内容的に独立して完結した物語になっていることが、この洪水物語がもともと別々の資料から合成されて出来たものであるという仮説を、更に裏付ける結果になっています。

創世記 6:5-8:22
ヤーウェは、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。ヤーウェは言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」しかしノアはヤーウェの好意を得た。

これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。ノアには3人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。

この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地をご覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。神はノアに言われた。「すべて肉なる者を終わらせるときがわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。

あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。

見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊を持つ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへきて、生き延びるようにしなさい。さらに食べられる物はすべてあなたのところに集め、あなたと彼らの食料としなさい。」

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。

ヤーウェはノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物を一つがいずつ取りなさい。空の鳥も七つがいずつ取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」ノアは、すべてヤーウェが命じられたとおりにした。

ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。

七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。雨が四十日四十夜降り続いたが、まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這う物、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。ヤーウェは、ノアの後ろで戸を閉ざされた。

洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。

地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。

神は、ノアと彼と共にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降り止み、水は地上から引いていった。百五十日の後には水が減って、第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。

四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、カラスを放した。カラスは飛び立ったが、地上の水が乾くまで、出たり入ったりした。ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水が引いたかどうかを確かめようとした。しかし、鳩はとまる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。

更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上から引いたことを知った。彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰ってこなかった。

ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日に、地上の水が乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。

神はノアに仰せになった。「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れだし、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟からでた。

ノアはヤーウェのために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす捧げ物として祭壇の上にささげた。ヤーウェは宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。  地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも  寒さも暑さも、夏も冬も  昼も夜も、やむことはない。」

この二つの資料のもっとも顕著な違いを比べてみると、次のような表にまとめることができます。

P(祭司)資料 J(ヤーウェイスト)資料
神をただ「神」(エロヒーム)と呼び、神の名前を呼ばない 神の名前「ヤーウェ」を使用する
神は超越的で抽象的で、遠くから命令する存在 神は「後悔」したり、「心を痛め」たり、「戸を閉ざ」したり、「香りをかいだ」りする、人間的な存在
人の死を「息絶えた」(イグヴァ)と表現する 人の死を「死んだ」(メートゥ)と表現する
両性を「雄と雌」(ザハル・ウネケヴァ)と表現し、「つがい」は使用しない 両性を「雄と雌」とだけでなく、しばしば「つがい」(イーシュ・ヴェイシュト)と表現する
箱舟にはいる動物の数は、清い動物も清くない動物も皆、雄雌各1匹ずつ 箱舟にはいる動物の数は、清い動物は七つがい、清くない動物は一つがいずつ
ノアは箱舟から出て、神に捧げ物をしない。動物はそれぞれ雄雌各一匹ずつしかいないので、捧げ物は出来ない。P資料は、祭司階級(レビ族の子孫)以外の人物に、絶対捧げ物の儀式をさせない。 ノアは箱舟から出て、ヤーウェに捧げ物をする。神に捧げ物の出来る「清い動物」は七つがいずつあるので、捧げ物が可能。祭司階級の特権意識に無関心
洪水は約一年(370日)続く 洪水は四十日四十夜続く
カラスを放つ 鳩を放つ

相違のひとつひとつを別々に見れば、それらに対する反論も可能かも知れませんが、一組の相違による資料の分類がちょうど他の組の相違による分類と一致し、しかも、そうして分類された資料層のそれぞれが独立して、完結した物語になっている事実が、二資料説の強力な裏付けとなっています。