聖書の間違い

ダビデ物語の矛盾と混乱(1)

--- サウル王とダビデの出会い---

佐倉 哲


イスラエルの黄金時代を築いたダビデが最初に聖書に登場するのは『サムエル記上』です。彼は、羊飼いエッサイの末っ子であったというのですが、彼のことがイスラエルの最初の王サウルに知られ、ただちにサウルに仕えるようになったいきさつに関しては、二つの矛盾する物語が存在します。



サウル王とダビデの初対面?(その一)

サムエル記上16章によると、ダビデが初めてサウル王に会うのは、悪霊に悩まされる王が家臣の「竪琴が王様の気分をよくするでしょう」という進言にしたがって、使いをやってダビデをベツレヘムから呼び寄せたときのことです。

サムエル記 上 16:14-23
主の霊はサウルから離れ、主からくる悪霊が彼をさいなむようになった。サウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させて下さい。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の気分をよくするでしょう。」サウルは家臣に命じた。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れてきなさい。」従者の一人が答えた。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でる上に、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です。」サウルは、エッサイに使者を立てて言った。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい。」エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送った。ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた。サウルはエッサイに言い送った。「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」神の霊がサウルを襲う度に、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。
この物語に依れば、ダビデは竪琴の名手としてサウル王に出会い、彼に仕えることになります。そして、サウルは、ダビデを召し抱えるために、ダビデの父エッサイに二度使いを送っています。


サウル王とダビデの初対面?(その二)

ところが、この物語に続く17章では、ダビデは、イスラエル人の敵ペリシテ人の巨人ゴリアト(あるいは、ゴリアテ)を倒した、英雄的人物として、サウルに出会い、仕えるようになったことになっています。このとき、サウルはダビデについて何も知りません。

サムエル記 上 17:12-18:2
ダビデは、ユダのベツレヘム出身のエフラタ人で、名をエッサイという人の息子であった。エッサイには八人の息子があった。サウルの治世に、彼は人々の間で長老であった。エッサイの年長の息子三人は、サウルに従って戦いに出ていた……。ダビデは末の子であった。年長の三人はサウルに従って出ていたが、このダビデは行ったり来たりして、サウルに仕えたり、ベツレヘムの父の羊ひつじの世話をしたりしていた……。

さて、エッサイは息子ダビデに言った。「兄さんたちに、この炒り麦一ファと、このパン十個を届けなさい。陣営に急いで行って兄さんたちに渡しなさい。このチーズ十個は千人隊の長に渡しなさい。兄さんたちの安否を確かめ、そのしるしをもらってきなさい。」

サウルも彼らも、イスラエルの兵は皆、ペリシテ軍とエラの谷で戦っていた。ダビデは翌朝早く起き、羊の群を番人に任せ、エッサイが命じたものを担いで出かけた。彼が幕営に着くと、兵は鬨の声をあげて、戦線に出るところだった。イスラエル軍とペリシテ軍は、向かい合って戦列を敷いていた。ダビデは持参したものを武具の番人に託すと、戦列の方へ走って行き、兄たちの安否を尋ねた。彼が兄たちと話しているとき、ガトのペリシテ人で名をゴリアトという戦士が、ペリシテ軍の戦列から現れて、いつもの言葉を叫んだのでダビデはこれを聞いた。イスラエルの兵は皆、この男を見て後退し、甚だしく恐れた。イスラエル兵は言った。「あの出てきた男を見たか。彼が出てくるのはイスラエルに挑戦するためだ。彼を討ち取る者があれば、王様は大金を賜るそうだ。しかも、王女をくださり、さらにその父の家にはイスラエルにおいて特典を与えてくださるということだ。」ダビデは周りに立っている兵士に言った。「あのペリシテ人を打ち倒し、イスラエルからこの屈辱を取り除く者は、何をしてもらえるのですか。いける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか。」兵士たちはダビデに先の言葉を繰り返し、「あの男を討ち取る者はこの様にしてもらえる」と言った……。

ダビデの言ったことを聞いて、サウルに告げる者があったので、サウルはダビデを召し寄せた。ダビデはサウルに言った。「あの男のことで、だれも気を落としてはなりません。しもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」サウルはダビデに答えた。「お前が出てあのペリシテ人と戦うことなど出来はしまい。お前は少年だし、向こうは少年の時から戦士だ。」しかしダビデは言った。「しもべは、父の羊を飼う者です。獅子や熊が出てきて群の中から羊を奪い取ることがあります。そのときには、追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。わたすが獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれら獣の一匹のようにしてます。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから。」……サウルはダビデに言った。「行くがよい。主がお前と共にあるように。」

ペリシテ人は身構え、ダビデに近づいて来た。ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうための戦いの場に走った。ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、ペリシテ人の剣を取り、さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。……

サウルは、ダビデがあのペリシテ人に立ち向かうのを見て、軍の司令官アブネルに聞いた。「アブネル、あの少年は誰の息子か。」「王様、誓って申し上げますが、全く存じません」とアブネルが答えると、サウルは命じた。「あの少年が誰の息子か調べてくれ。」

ダビデがあのペリシテ人を討ち取って戻ってくると、アブネルは彼を連れてサウルの前に出た。サウルは言った。「少年よ、お前は誰の息子か。」「王様のしもべ、ベツレヘムのエッサイの息子です」とダビデは答えた。……サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。

16章の物語では、竪琴の名人としてダビデを召し抱たとき、確かに、サウルはダビデの父エッサイについて知っていました。しかも、王の傍らで竪琴を弾いたり、王の武器を持つ者として、王のすぐそばで仕えていたのですから、彼の名前や彼の父のことも知らないわけがありません。ところが、17章の物語によると、サウルはゴリアトと戦ったダビデについて何も知りません。彼の父についてばかりか、ダビデの名前さえ知りません。(ダビデは「少年」と呼ばれています。)


ダビデ物語の混乱

この様な矛盾が生じるのは、ダビデに関するこの二つの物語が別々に伝承され、聖書において一つの物語にまとめられたからです。この二つの物語がもともと別々の物語であったことは、内容の矛盾からだけでなく、例えば、ダビデは既に16章で登場しているのに、17章において、再び、ダビデの紹介文(「ダビデは、ユダのベツレヘム出身のエフラタ人で、名をエッサイという人の息子であった」)が載っていることなどからも明らかです。

また、第二の物語のなかの始まりの部分で「このダビデは行ったり来たりして、サウルに仕えたり、ベツレヘムの父の羊ひつじの世話をしたりしていた」と記されていますが、このような句は、二つの独立した伝承物語を一つにしようとした編集的作業によるものといえます。しかしながら、二つの物語を調和させようとするこの編集的努力も、実は、あらたな矛盾を生んでいるのです。もし、この編集的加筆が正しく、ペリシテ人との戦いの前には、ダビデがサウル王と父エッサイの間を「行ったり来たりしていた」のであれば、ますます、サウルやその側近がダビデの父について「全く」無知であったということが、信じられなくなってしまうからです。

「サムエル記上」におけるダビデ物語は、それが伝承の寄せ集めであり、そして後から手が加えられたという、歴史的背景を持つがゆえに、このような矛盾が生じているのですが、それが、資料の寄せ集めであることは、さらに、つぎのような事実からもわかります。たとえば、ゴリアトとの戦いの直後「ダビデはあのペリシテ人の首を取ってエルサレムに持ち帰り、その武具は自分の天幕に置いた」(17:54)と記してありますが、この部分は前後との文脈から孤立しているだけでなく、歴史的にあり得ないことです。エルサレムは、サウルの時代にはまだイスラエル人の領地ではなくエブス人の領地だったのです。ダビデ自身がイスラエルの王となった後、彼の軍隊の侵略によって初めて、イスラエルのものとなるのです(サムエル記下5章)。つまり、この記録(17:54)は時代錯誤なのです。後のダビデの軍隊のイメージとだぶっているのです。

このように、サムエル記によるダビデ物語は矛盾と混乱を含んでいます。とくに、サウル王とダビデの初対面の記録の矛盾は顕著なものです。