聖書の間違い

アビアタルとアヒメレクを取り違えたマルコ

--- 不正確なマルコの聖書知識 ---

佐倉 哲


マルコの福音書によれば、イエスは、サムエル記にある記録を引用するに際して、祭司アヒメレクと祭司アビアタルを取り違える、という間違いを犯しています。


さんより

97年9月23日

佐倉さん、こんにちは。

マルコの福音書2−26は間違いではないでしょうか。

アビアタルが大祭司であったとき(新共同訳)
大祭司アビヤタルの時(フランシスコ会訳)
επι Αβιαθαρ αρχιερεωσ (NOVUM TESTAMENTUM GRAECE 27)
when Abiathar was high priest (THE FIVE GOSPELS)
これは常識ではアヒメレクであるはずです。 (サムエル記上21) おそらく後世の挿入の時間違えたのではないのでしょうか。



佐倉 哲

97年9月28日

狸さんのご指摘どおり、マルコの記録は間違っていると思います。

マルコの福音書 2:25-26
イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司の他は誰も食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
このように、マルコの福音書では、「アビアタルが大祭司であったとき」、ダビデが神殿の供え物を食べたことになっています。しかし、サムエルの記録では、ダビデが神殿の供え物をたべた当時、その祭司はアビアタルではなくアヒメレクでした。
サムエル記上 21:2-7
ダビデは、ノブの祭司アヒメレクのところに行った……。ダビデは祭司アヒメレクに言った。「…何か、パン五個でも手もとにありませんか。ほかに何かあるなら、いただけますか。」……普通のパンがなかったので、祭司は聖別されたパンをダビデに与えた。
アビアタルはこの事件よりずっとあとに祭司になります。明らかに、マルコは間違っています。しかも、イエスが「一度も読んだことがないのか」と言いながら、自分自身が間違っているので、とても気の毒なことになっています。

なぜ、マルコがこのような間違いを犯したのかわかりませんが、昔から、アビアタルとアヒメレクは混同されていたようで、サムエル記そのものも混同しています。たとえば、サムエル記上の22章20節では、アビアタルはアヒメレクの息子であったことになっています。

サムエル記上 22:20
アヒトブの子アヒメレクの息子が一人難を逃れた。アビアタルという名で、彼はダビデのもとに逃れた。
ところが、サムエル記下の8章17節では、アヒメレクがアビアタルの子であったと記されています。
サムエル記下 8:17
アヒトブの子ツァドクとアビアタルの子アヒメレクは共に祭司。
しかし、マルコを下敷きにして書かれたといわれるマタイやルカは、このような問題に気づいていたようで、祭司の名前を出さないようにして問題をうまく避けています。
マタイの福音書 12:3-4
そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちにも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。」

ルカの福音書 6:3-4
イエスはお答えになった。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちにも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。」

新約聖書の著者たちの旧約聖書引用はとても不正確です。それは、おそらく、かれらの聖書に対する根本姿勢に大きな問題があったのではないかと思われます。つまり、かれらは、何が聖書に書かれているのかを知ろうとするより、自分たちの信仰や行動を正当化する聖書的根拠を見つけることに一生懸命なので、そのために正確性ということが犠牲になったのではないかと思われます。


本論には、次の批評が寄せられています。

鈴木さんより